2.高島神社                                     案内トップへ戻る

高島神社の写真

場 所 岡山市賞田、龍の口山の南麓
行き方 両備バス旭川荘行「脇田入口」下車徒歩5分
説 明
高島神社は、日本書紀によれば、神武天皇が、ここに3年間(古事記には8年間)滞在された所である。神武天皇は、太歳甲寅の年(西暦前7世紀頃)10月5日、高千穂を立たれ軍舟を率いて東征の途にのぼられた時、豊後海峡を通り宇佐・筑紫の国・安芸に寄られ翌年3月6日、吉備の国の高島に行館(かりみや)を造って滞在された所とされている。これを「高島宮」といい、ここでは、一挙に天下を平定しようと舟の準備や、武器の調達や、食糧を蓄えるため過ごされ、戌午(つちのえうま)の2月11日皇軍はついに東に向かい出航し、そして後に神武天皇は大和にて、即位された。
「吉備高島宮」については、沼隈郡説・神島説・宮浦説・高島山説がある。
[高島神社(高島山説)が有力候補地と考えられる理由]
(1) 往古よりここ龍の口山一帯を高島山と称し神武天皇を祭神とする高島神社があったこと。
(2) 海辺が現在JR山陽本線の南あたりにあり軍舟を停泊させるのに港として良い静かな入り江があったこと。
(3) 旭川に沿い古来水陸交通の要衝を占め、出雲との交渉に便利であり大陸の文化(鉄・塩・土器・・・等の製造)も入って来たのではないかと思われること。
(4) 旭川が運んできた土砂によってつくられた高島の一帯は土地が肥え、作物が豊かに実り食糧を蓄えるのにも良かったこと。
(5) 舟を造る木材の調達にも旭川から運搬してこれたこと。
(6) 現在この付近には、大きな古墳が点在していて、古く吉備の中心地として吉備大宰府や備前国府があった所とされていること。・・・・・・・等が挙げられる。
明治21年に市町村制が施行され清水村、荒井村、新屋敷村、国府市場村、湯迫村、賞田村、祇園村、今在家村、中井村を合併し、由緒ある高島宮のあるところから高島村となったということである。

(祇園 向山智加枝)

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