場 所 岡山市賞田333
行き方 両備バス 旭川荘行き「脇田入口」下車 北へ500m
安養寺は、天台宗山門派の寺で正式には、脇田山安養寺常行院という。ご本尊は、木造の聖観世音菩薩の立像(33年ごとに開扉の秘仏、2001年に開扉)である。
天平勝宝年間(749〜757)孝謙天皇の勅願により、備前48ヵ寺の一つで報恩大師の開山と伝えられている。
寺伝によると、初めは脇田集落の東の乗興寺という所にあったが火災で焼失、そこで脇田集落の谷奥の古屋敷という所に再建したところ、また火災に遭い、その後江戸時代前期の寛文6年(1666)には岡山藩主による寺院淘汰によって東覚坊が廃寺となるなど、寺運が衰微していった。江戸時代の宝暦年間(1751〜1764)に具法法印が現在地に移転再建したという。この時の堂宇も明治18年の火災によって焼失してしまった。
往古は僧坊十余寺、末寺は数か寺あったが現在は法泉寺・祥雲院の二か寺が残っている。現在の客殿・庫裏は宝暦7年(1757)・法華塔は寛政6年(1794)・鐘楼は明治38年(1905)仁王門は大正15年(1926)・本堂は昭和11年(1936)・観音堂(納骨堂)、寺務所は平成9年(1997)にそれぞれ建立され、現在に至っている。
本堂の向かって右手前に、大悲観音と彫られた自然石の碑が立っているが、この土台の固め石として使用されている8個の石は、近くの賞田廃寺の礎石を移して、旧本堂に使用したものといわれている。
また、昭和11年本堂再建のとき、基壇から発見された約2,000体の歓喜自在天がある。これは象頭人身の双身(男女抱擁)像で身の丈が3cmの銅像である。ご利益(やく)は「家内円満」「事業繁栄」「良縁成就」などとされる。この歓喜自在天は古代インドの神が伝来したものとされ、多くの信者がいた時代や、邪教として弾圧された時代もあった。
この他、総社宮社殿の天井裏から発見された旧神像2躰や、賞田廃寺に使用されていた丸瓦と平瓦も保存されている。
(中井 辻 冨士夫)
【安養寺歴代住職】(安養寺 天台勤行儀より抜粋)