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「海吉(みよし)」と「出村(でむら)」

沿革でお分かりのように、海面村(かいめんむら)のルーツは「本村」(ほんむら・・・転じて、ほむら) 次いで「中村」であり、やがて「出村」ができてこれに加わり、後に「福吉」と一緒になって海吉村になった・・・ということなのです。  すなわち、「出村」とは、“本来の村から派生した(新しく出てきた)村”と言う意味です。

 

現在の岡山市海吉が、本村・中村・出村・福吉の4個町内からなっていることは、これら沿革からすれば容易に理解できるでしょう。

 

ちなみに、「本村」「出村」などという呼び方は伝統的には根強いものがありますが、実は大字や小字の呼び名ではないのです。

 

この出村周辺には、小字名として「溜江(たまりえ)」「河原屋(かわらや)」「長田(ながだ)」「池田(いけだ)」「横田(よこた)」「本田(ほんた)」「石樋(いしひ)」「樋の尻(ひのしり)」「中嶋(なかしま)」「久々原(くぐはら)」「五反新田(ごたんしんでん)」「渡川(わたしがわ)」などがあり、これらの呼び方は農耕地の生成過程や、「池5箇所、樋26」などという往時の田園風景を彷彿とさせてくれ、興味深いものがあります。

青字の小字名は、現在の隣組名にも使われています。

 

昭和20年当時の「出村」は、その戸数50件足らずの農村でした。

 

 

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