平成21年度 牧石楽しく歩こう会
 
No.104 


平成21年度の 「牧石楽しく歩こう会」 は、参加者29名で 楽しいウォーキングとなりました。

岡山駅前へ集合し、まず 岡山駅構内の ”岡本太郎 作品” の 壁画を見ました。
その後、桃太郎大通り・残念石・光珍寺・金比羅宮・本業寺・藩学校跡・土光敏夫記念碑・徳山弓道場・
国吉康雄生誕地・備前焼工房・岡山神社・西手櫓・岡山城・不明門・内下馬門・外下馬門・京橋・
鳥人幸吉碑・鐘撞堂跡などを歩きました。

午後からは、小雨が振り出したので 早めに切り上げました。


平成21年11月22(日)  10:00〜14:00


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岡山駅 桃太郎像前  
岡山駅 桃太郎像前に集合しました。
案内していただく 安藤さんから、出発前の 説明がありました。

 

残念石
残念石

徳川家が 西国の大名に命じて、大阪城の修復(1620年代)を行わせた時、寄進される予定の石が 残りました。
その石を 西川の護岸の石垣に 流用したと言われています。 残念です・・・。

光珍寺
光珍寺

宇喜多家の菩提寺で 天台宗の寺院。
宇喜多直家の父 興家の位牌所となり、宇喜多一族の菩提を弔う寺として 現在に至ってます。

野田屋町2丁目の街角にある 金刀比羅宮

宇喜多直家 築城以来から 歴代の崇敬もあり、江戸時代 山陽道の道筋で 西国諸大名の参勤交代道中にも 拝礼された。
現在も 縁日には 多勢のお参りがあります。

岡山藩学校跡
岡山藩学校の跡

池田光政が 寛文9年(1669)に藩士の子弟教育のために創設した学校で 廃藩置県後 明治4年(1872)閉校された。
その後 岡山県師範学校、岡山県女子師範学校に使用されていたが 一部は撤去され、岡山空襲により焼失しました。

備前焼工房  
岡山備前焼工房

ギャラリー、和室、庭も備えて <土ひねり教室> も 開催されています。
ろくろが 3台あり、<土ひねり>が 体験でき、窯で焼いて貰えます。(有料です)
 
   
岡山神社  
岡山神社

日曜日で 七五三のお祝いに 子供たちが着飾っていました。
 
   
西手櫓  
岡山城 西ノ丸 西手櫓

慶長8年(1603)姫路城主 池田輝正の子 利隆が、岡山藩政代行のため 岡山に在城していた時に 建てられた。
屋根は 入母屋造りの本瓦葺、大棟の両端には瓦製のシャチホコガがあり、外観が美しく引き立って見えます。
武器、食料の貯蔵に使用されたと思われますが、池田光政が隠退して 隠居所にあてられました。
 
   
岡山城で昼食  
岡山城前広場で昼食

宇喜多秀家が 岡山城築城のときの礎石(戦後再建された時現在の位置に当時の形のまま移設)に 腰掛けて昼食をとりました。
お弁当を食べながら 安藤さんの お城の説明を 聞きました。
 
   
表具師 幸吉  
表具師幸吉の碑(京橋右岸上手)

備前の国八浜(現在の玉野市八浜)で生まれた幸吉は、岡山で表具師に弟子入り、岡山一の表具師になるが、少年時代の夢があきらめられず、蓮昌寺の鳩を捕まえて研究しました。
現在のグライダーのようなものを作って 京橋の上から跳んだが、つかの間 飛んだが 落ちて 捕らえられた。
天明5年6月17日(1785)ライト兄弟の飛行より 118年前のことだった。
牢住まいの後に 備前の国を追放されて 駿河の国に移り住んだが 91歳まで鳥人の夢を追い続けました。
平成9年 旧岡山藩池田家の子孫、池田隆政さんが 浮田幸吉の兄の子孫、浮田栄さんに 『本村戻り令』を 手渡して、岡山藩追放から 数えて212年振りに 幸吉は追放を解かれました。
(これは 玉野市挙げてのイベントの 余興でした。)
     

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