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岡山駅 桃太郎像前に集合しました。
案内していただく 安藤さんから、出発前の 説明がありました。 |
開
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残念石
徳川家が 西国の大名に命じて、大阪城の修復(1620年代)を行わせた時、寄進される予定の石が 残りました。
その石を 西川の護岸の石垣に 流用したと言われています。 残念です・・・。 |
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光珍寺
宇喜多家の菩提寺で 天台宗の寺院。
宇喜多直家の父 興家の位牌所となり、宇喜多一族の菩提を弔う寺として 現在に至ってます。
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野田屋町2丁目の街角にある 金刀比羅宮
宇喜多直家 築城以来から 歴代の崇敬もあり、江戸時代 山陽道の道筋で 西国諸大名の参勤交代道中にも 拝礼された。
現在も 縁日には 多勢のお参りがあります。
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岡山藩学校の跡
池田光政が 寛文9年(1669)に藩士の子弟教育のために創設した学校で 廃藩置県後 明治4年(1872)閉校された。
その後 岡山県師範学校、岡山県女子師範学校に使用されていたが 一部は撤去され、岡山空襲により焼失しました。 |
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願 |
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岡山備前焼工房
ギャラリー、和室、庭も備えて <土ひねり教室> も 開催されています。
ろくろが 3台あり、<土ひねり>が 体験でき、窯で焼いて貰えます。(有料です) |
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岡山神社
日曜日で 七五三のお祝いに 子供たちが着飾っていました。 |
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岡山城 西ノ丸 西手櫓
慶長8年(1603)姫路城主 池田輝正の子 利隆が、岡山藩政代行のため 岡山に在城していた時に 建てられた。
屋根は 入母屋造りの本瓦葺、大棟の両端には瓦製のシャチホコガがあり、外観が美しく引き立って見えます。
武器、食料の貯蔵に使用されたと思われますが、池田光政が隠退して 隠居所にあてられました。 |
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岡山城前広場で昼食
宇喜多秀家が 岡山城築城のときの礎石(戦後再建された時現在の位置に当時の形のまま移設)に 腰掛けて昼食をとりました。
お弁当を食べながら 安藤さんの お城の説明を 聞きました。
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表具師幸吉の碑(京橋右岸上手)
備前の国八浜(現在の玉野市八浜)で生まれた幸吉は、岡山で表具師に弟子入り、岡山一の表具師になるが、少年時代の夢があきらめられず、蓮昌寺の鳩を捕まえて研究しました。
現在のグライダーのようなものを作って 京橋の上から跳んだが、つかの間 飛んだが 落ちて 捕らえられた。
天明5年6月17日(1785)ライト兄弟の飛行より 118年前のことだった。
牢住まいの後に 備前の国を追放されて 駿河の国に移り住んだが 91歳まで鳥人の夢を追い続けました。
平成9年 旧岡山藩池田家の子孫、池田隆政さんが 浮田幸吉の兄の子孫、浮田栄さんに 『本村戻り令』を 手渡して、岡山藩追放から 数えて212年振りに
幸吉は追放を解かれました。
(これは 玉野市挙げてのイベントの 余興でした。) |
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