津倉古墳より土器初出土・・・古墳時代前期前半築造時期確定へ

投稿日:2017年4月1日

2014年度より発掘調査が開始され3年目になりますが、今回初めて石室内から土師器の壺がほぼ完全な状態で見つかりました。3月11日に町内にて見学会実施時には一部かけらが見つかっており、今後、更なる発見があるのではと期待に胸を躍らせていましたが夢が現実となりました。岡山大学の光本准教授によりますと更に新たな発見がある可能性が高いとの事から来年度の発掘調査に期待したいと思います。

*以下、3月30日 山陽新聞の記事を掲載致します。

岡山大学考古学研究室が発掘調査している岡山市北区京山の前方後方墳(墳長39㍍)で、石室内から土師器の壺がほぼ完全な状態で見つかった。同古墳での土器の出土は初めてで壺の形状から築造時期が古墳時代前期前半(3世紀後半~4世紀初頭)に絞られた。

発掘調査は2014年度に着目し3年目。これまでに後方部で東西に並ぶ竪穴式石室2基を確認している。今回は2月末~3月中旬に調査した。

壺は西側の石室(幅約80㌢、長さ2.3㍍以上)から出土。頸部が短く全体に丸みを帯びた形状で、高さ約30㌢、胴部の直径約25㌢。石室床面に敷かれたとみられる粘土が付着しており、壺は床面の上か、床面に置かれた木棺内に納められていたと推測される。

津倉古墳の築造時期は、墳形などから古墳時代前期と推定されていたが、土器や埴輪などの遺物が見つからず、詳細は不明だった。年代確定につながる初の遺物に、光本順准教授は「保存状態も良く、貴重な資料。津倉古墳一帯には前期古墳が多く存在しており、先後関係などの比較に役立てられる」と話す。また、前期古墳の石室内に土器が副葬されること自体が珍しく、県内では赤峪古墳(鏡野町)、楢原寺山古墳(美作市)など数例のみ。南部の古墳では初めてとみられる。光本准教授は「副葬の目的や意味なども調べ、前期の吉備の社会像を探る手掛りにしたい」としている。

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