操南中で地域の歴史を話す

5月1日(水)に操南中学校に招かれ1年生(約270名)の総合学習の一環「地域の歴史を知る特別授業」の講師として萩原・瀬崎の両名で出向きました。生徒達には事前に「わが町操南」というビデオを視聴してもらっていたのでだいたいの歴史は理解出来てると考えみんなが疑問に思うことや伝えたいことを主に話しました。沖田姫伝説や農民の生活や苦労、私たちが実際に体験したことを中学生に分かって貰えるように話したつもりですが約40分の制約と各人で興味や関心も違うのでどこまで伝わったか不安です。ビデオの製作は平成23年公民館時代ですが瀬崎さんらビデオクラブの人達と構想を練りながら進めていた3月11日に東日本大震災が発生した記憶が鮮明に残っています。その年に生まれた子たちが今は中学生となり目の前で聞いてくれているのを見て今回は特に感慨深い思いでした。歴史の話をするのは今年で4年目になりますが、これまで聞いてくれた千人を超える生徒達が自分が育ったふるさと操南に愛着を持つきっかけになってこれからもさらに学んで欲しいと思います。         

運営委員の皆さんが製作した横断幕が迎えてくれました

講演の準備ができました。

生徒代表からの挨拶を受けます。

私たちが今いるこの辺りは約340年前は海底でした。

江戸時代の前期、岡山藩主池田綱政は父光政の意志を継ぎ、児島湾干拓による新田開発を藩郡代の津田永田に命じました。最初の藩営新田となる倉田新田、国内最大の沖新田の西半分は現在の操南中学校区の原形となっています。後世に名を残す大事業沖新田の堤防工事にかかった人夫賃は103万人分といわれ、難工事を完成させる為にきたという女性が人柱に立ったという話が語り継がれています。新田に入植してきた人達は数々の困難に出会った時、若い身を犠牲にした沖田姫伝説を思い起こし乗り越えてこられたのでしょう。

私たちが小学校時代は春(田植え)・秋(稲刈り)に農繫休暇があり農作業を手伝ったこと等経験も話しました。

メモを取りながら熱心に聞いてくれました

                           

講演で使用した写真の一部

戦前の農村風景 牛馬も家族同様 皆で田起こし作業

共同で稲刈り作業 助け合いコミュニティがあった

広い新田地帯では様々な神仏が(倉益の天満宮)

地神様・木野山神社(コレラ退散)・お地蔵様(藤崎)

                       
文責・萩原正彦  構成・瀬崎強一

          

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