操南中1年生 地域の歴史を学ぶ
5月1日(月)操南中学校1年生の総合学習「操南学区フィールドワーク」の一つで「学区についてもっと知ろう」の授業の講師として行って来ました。10年前に公民館で「わがまち操南」というビデオを製作した関係でシナリオを書いた萩原、映像担当したビデオクラブ代表の瀬崎強一さんと二人で2年前から招かれています。歴史の話を中学生に話すのは意外と難しいもので、大人目線で話すと理解してもらえているのかなと心配しています。前もってビデオを見てもらっているのでポイントを絞って話していますが、45分でまとめるのはハードで3回目ですがこれで良かったのかなといつも申し訳なく思っています。それでも今回使用した40の画像を真剣な目で見てくれている生徒を見ていると少しでも歴史に興味を持ってもらえたのかと感じます。聞いてくれた280名余の生徒たちの学習に役立ってくれたら幸いです。
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始めに一年生の生徒代表からお礼のあいさつを受ける
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なぜ干拓が行われたのか。江戸時代になると人口が増え自作地を求める農民に土地を与え、岡山藩も年貢米を増やし藩の財政を豊かにする為に新田開発が行われた。沖田姫はなぜ人柱になったのでしょうか。
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池田光政が「国中に並ぶ才なし」と評した津田永忠の英知と、命懸けで幾多の苦難を乗り越えてきた先人たちの心意気が海底を美田に変えていった。
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この地には新田の産土神である沖田神社をはじめ多くの神仏が今も残っている。それは他所に比べ最下流に位置し塩害や干ばつ、疫病の苦しみ等の困難が多く神仏の加護、心の支えがとりわけ必要だったことを意味している。お地蔵や地神様など道端に見られる里の神、干拓地の痕跡や地域のお宝もあるのでよく探してみて欲しい。
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郷土の恩人津田永忠が指揮をとった岡山藩初の藩営新田の倉田新田、沖田姫伝説のロマンと苦難の歴史を有し、江戸時代を通じ国内最大の干拓地であった沖新田に暮らしている皆さんが、これから郷土に愛着と関心を持ち、さらに学んでほしいと思います。最後までメモを取りながら熱心に聞いてくれてありがとう。
下記の写真は講演で使用した画像の一部です
日々の生活に欠かせない川市 家族同様に牛馬も一緒に農作業 四番川(遊水池)の役割は干拓当初から重要 倉田の守護神 白鳥神社
写真提供 操南中学校
文 責 萩原正彦