操明懐かしの写真館(第38回)
ある新田入植家族のあゆみ
1693(元禄6)年の初夏のある日、備中の国浜中村(現在の浅口郡里庄町浜中)の豪農齋藤五郎兵衛一家は舟で沖新田に着いた。前年出来たばかりの広大な干拓地の「一番」(現在の江崎あたり)に43町歩を買い入植。一家は五郎兵衛夫婦と両親、弟九平、下男4人と下女2人。五郎兵衛が21町歩、九平と両親が23町歩に分け下男下女も半分づつ分け合った。(現在の浜中の地名は齋藤家の出身村の浜中にちなむ)隣家は一軒もなく夜ともなると真っ暗でまことに寂しい所だった。前年まで海だった土地では満足に作物も採れず良質の米は年貢米に取られ、小米を石臼で粉にして団子を作り主食にしていた。しかも今の様な農機具もない時代に、43町歩もの田を満足な食事も無しに昼夜を問わず年中手作業で耕作していた入植当時の暮らしはどんなに過酷であったか想像することも出来ない。そもそも浜中村で大庄屋まで勤めた豪農がなぜ移住してきたのか。まさに新天地を拓く意気込みに燃えた開拓者魂があったとしか考えられない。齋藤元本家3代目五郎兵衛の弟恵左衛門は1792(寛政4)年に旭川土手下に分家し居を構えた。恵左衛門を始祖とする齋藤家4代目傳三郎武房は明治10年醤油醸造業を創業し、当時県下最大だった三蟠港を中心とする海運に支えられ京阪神方面まで商圏を拡大していった。5代目傳三郎軍平の時代に隆盛を極めたが、昭和に入り原材料の大豆等の入手が困難になった上、油圧プレス機等近代的設備のキッコーマン、ヒガシマルなど大手醤油メーカーの出現により次第に事業規模を縮小していった。新田開発から300年余この地に暮らしてきたそれぞれの入植者家族の足跡もいつの日か忘れられて行くのでしょうか。
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松並木の続く旭川土手から見た1921(大正10)年頃の齋藤邸
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2000(平成12)年5月当時の外観
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1898(明治31)年5月 母屋新築落成を祝い集まった人達 右後方に醸造蔵の煙突が見える、手前は祇園用水
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浅口郡里庄町浜中の付近図 国道2号線沿い西は笠岡市に隣接
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北東側から見る大正10年頃の齋藤邸 すぐ後方を大正4年開業の三蟠軽便鉄道が走っていた。
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北から立ち並ぶ醤油蔵を見る
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醸造用の木桶
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出荷を待つ醤油樽
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4代目齋藤傳三郎(武房) 明治10年父恵三郎とともに醤油醸造業を始める。三蟠村助役も務める。
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5代目齋藤傳三郎(軍平) 醤油醸造業を継ぎ大正中期に市内の同業有志と共に中国醸造(株)を設立し常務取締役に。三蟠村長を務め三蟠軽便鉄道設立に尽力し監査役となる。
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明治28年 京都で開催の第4回内国勧業博覧会に出展
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明治43年 ロンドンで開催の日英博覧会に出展し銅賞
参 考 昭和46年4月5日山陽新聞夕刊記事
写真資料提供 堀家(旧姓齋藤)正子さん
文 責 萩原 正彦
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