操明懐かしの写真館(第30回)

今回は懐かしい写真や初めて見るものもありますが皆さんからのご指摘や情報があればお寄せください。

                    

今から111年前の明治44年(1911)東西に流れる倉安川の下を通り三蟠方面に南北に流れる祇園用水底樋の樋管工事の写真。 現在の平井5丁目2番あたりで山陽学園大学と産業道路の中間付近に位置する。すぐ近くに石碑の説明がある。用水路を掛樋と底樋で交差させる工法で双方の水流に支障が無いように工夫されている。

                 

昭和27年4月上道郡の三蟠村・沖田村であった当地が岡山市に編入されたため、それまでの村長や村会議員選挙がなくなり昭和30年4月に編入後初の市政選挙が行われた。この時は周辺の村の多くが岡山市に編入され市域が大きく広がったため市議選には70名を超える候補者が出馬。地元から立候補して2位で当選し喜びの萩原香選挙事務所前(旭川土手の江並の大野たばこ店南)の風景
当時は電話や自家用車はほとんどの家になく、選挙運動は専ら自転車で走り回っていたようで現在とは随分と様子が違っていた。

                  

右端は三木行治元岡山県知事(昭和26年に48歳の若さで知事となり4期勤めた。岡山医専現岡大医学部出身の医師で厚生省公衆衛生局長から知事に。東洋のノーベル賞と言われるマグサイサイ賞を日本人で初受賞し受賞金で三木記念事業基金を創設、水島臨海工業地帯の誘致開発する等県政発展に大きく貢献した。またアイバンクを創設し自ら献眼第一号となり死後知事の角膜は二人の若い女性に移植された。私なき献身を貫き桃太郎知事として慕われ名声は今も語り継がれている。)
左隣は旧岡山藩主池田侯爵家第16代当主で池田牧場・動物園を経営していた池田隆政氏、一人置いて昭和27年10月に隆政氏と結婚し岡山に来られた厚子夫人(昭和天皇の第4皇女で順宮厚子内親王 上皇の姉) 当時としては天皇家から元侯爵家とはいえ地方都市の牧場主のもとへ嫁ぐことは異例のことだったがお二人は曽祖父の久邇宮朝彦親王を同じくする又いとこ同士だった。(ウィキペディア参照)ご夫妻は三蟠競馬の池田杯授与の為よく当地へ来られていた。                 (写真は江崎のTSさんからの提供)
撮影日時と場所は不明だが昭和30年代初め頃で三木知事が県関係の庁舎へ皆さんを招待したのでは思われる。後方
窓際に着物が掛けられていて、シスター達に日本文化に触れ池田夫妻と引き合わせ友好と親善を図ろうとしたのではと推測します。

                         

昭和40年頃 障子紙の張替え風景 秋のお彼岸頃には農作業が一幅出来て水も冷たくなく夏の日差しで焼けた障子紙を川で洗い流して張替えて正月を迎える準備をする光景があちこちで見られた。しかし、この頃以後はガラス戸が主流となり、だんだんと障子を見ることもなくなっていった。子どもの頃に手伝ったこともある懐かしい風景である。

                 

文責 萩原正彦

                     

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