操明懐かしの写真館(第29回)

明治の女学生

今回は女子教育の草分け的存在である山陽高等女学校の明治期の写真をMHさんから提供いただきました。
MHさんの祖母が同校の卒業生だったので自宅に保存されていたとの事です。

明治42年(1909)山陽高等女学校の卒業記念写真 後方建物は明治21年に徳吉町に建設された校舎で2階が講堂1階に4教室と教員室 当時は珍しい洋館風の校舎で岡山名物の一つだった。昭和20年戦災で焼失するまで本館として使用された。昭和22年に門田屋敷の現校地に移転された。
後から2列目中央の女性は前年(明41)37才の若さで6代目校長となり昭和34年に88才で逝去するまで51年間にわたり校長として女子教育に情熱を注いだ上代淑(かじろよし)先生で昭和33年に岡山市名誉市民になっている。
彼女は日本で初の女性校長と言われている。

               

明治38年(1905)山陽高等女学校2年生時代15才の記念写真で撮影場所は不詳だが名門山陽高女の女学生の集合写真は壮観である。最前列右手に校長就任前の上代淑先生らしき人物が写っている。(今から117年前の貴重な写真)
山陽高等女学校は明治19年(1886)に山陽英和女学校として設立同25年に山陽女学校同31年に山陽高等女学校となる。明治33年に岡山県高等女学校(後の一女で現操山高校の前身)が誕生、明治37年に誕生した岡山実科女学校
が同41年に同高等女学校(現就実学園の前身)と続くので山陽高女は県内高等女学校の草分けであり女子教育学校のパイオニア的存在だった。

                
文責 萩原正彦

           

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