懐かしの写真館(第26回)

操南中学校(振り返り編)
            

戦後の昭和22年に誕生した操南中学校の50年間のあゆみを5回に分けて171枚の写真で見てきましたが、この間に多くの先輩・同級生・後輩の皆さんからいろんな話を聞かせてもらいました。
古くは先生に殴られたり、竹ぼうきで叩かれたといった話をよく聞きました。今だったら大問題ですが当時は当たり前だったように思います。後になると生徒が先生に暴力をふるうといったあべこべの話も聞きました。
多感な年頃で、好きな人や憧れの先生・先輩がいたが願いが叶わず、悲しい思いをした人もあるようです。
同級生と話をしていると、HさんはY君が好きだったけど一方通行の片思いだったとか、ある人はk先生が好きだったんよという話も聞いて、そうだったんか当時は全然気がつかなんだよといったこともあり、もう60年も前で時効の話、なかには既に故人になっている人もいてみんなの懐かしい顔が浮かびます。
一方で、中学時代の付き合いをきっかけに恋が実り同級生どうしで結婚した人も結構いるようです。
学業とは別に、部活動に明け暮れし中には県大会、全国大会に出場し活躍した思い出がある人もいるでしょう。
別のエピソードでは、中学時代の写真をホームページに載せたので見て欲しいと同級生のYさんに電話すると、今は兵庫県の娘の所にいて岡山の家にはめったに帰っていないとの話。どうしたのか聞くと娘さんは宝塚歌劇の近くで弁護士事務所を開いていたが昨年の4月、宝塚市の市長選に立候補を要請され、日本維新の会の候補者と大接戦の末当選して市長になったので娘の家で手伝いをしているからしばらく帰れないという。
公民館勤務当時Yさんには公民館祭りの司会を頼んでいたのでよく話をしていて、娘さんが法科大学院で弁護士を目指して勉強しているという話を聞き、法律相談の講座をしてほしいと彼女に頼むと、娘さんも勉強になるからと引き受けてくれた。10年程前の事だが今でもその時の内容はよく覚えてると娘が言っていますよと聞いて感心した。
兵庫県には女性市長が3人いるそうです。さすが都会では女性が活躍する社会が進んでいるなと思いました。
操南小学校の卒業生で市長になった人は初めてと思います。これから大変でしょうが頑張って下さい。
青春時代の1ページをすごした各人それぞれの、また学年でのたくさんの出来事やエピソード、甘酸っぱい思い出や楽しかったこと、辛かったことも一杯あっただろう50年のあゆみです。今回は平成8年までの50年でしたがそれから現在まで更に25年(4半世紀)を経過しました。
下記の写真はその間の学校生活の一部と現在の学校風景です。
児島の海に夜は明けてと始まり操南中学あゝわが母校と結ぶ妹尾権先生作詞の懐かしい校歌(第1回に掲載)を、この春264名の卒業生たちも歌ってそれぞれの進路に向かい巣立って行きました。
同窓生17、206名となった母校の今後ますますの発展を祈ります。


  5回シリーズで掲載した操南中学校50年のあゆみを見て頂きありがとうございました。
  ご意見・ご感想がありましたらお聞かせ下さい。

               

文責  萩原正彦

                

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