懐かしの写真館(第25回)
操南中学校(その5)
今回は昭和62年から平成8年までの10年間を見てみましょう。この時代は62年に新岡山空港開港、63年には瀬戸大橋開通、平成5年に岡山ふれあいセンターがオープンするなどの出来事がありました。
中学校では新体育館、新プール、柔剣道場が完成するなど学校施設が充実していった時代でした。
昭和61年に富山中が分離新設されたため富山学区が外れ操南・旭操の2学区になっていましたが、平成8年に操南から分離した操明小が出来たため、10年で再び3小学校区の中学校となり現在にいたっています。
この間、部活動ではハンドボールや吹奏楽が県内トップに輝き、他の部も大いに活躍し、操南中の名を高めました。
教職員、生徒が一体となって学業のみならずスポーツ・文化活動に熱心に取り組んでいることがうかがえてOBとしてもうれしく思います。
昭和22年の開校から平成8年までの50年(半世紀)のあゆみを10年づつ5回に分けて掲載し、今回が最終回となりますがこのシリーズを通じて感じたことや様々なエピソードを次回番外編(まとめ)としてお届けしたいと思います。
「創立50周年記念誌」を提供下さった操南中学校や、卒業アルバムを見せてくれた多くの卒業生の皆さんに感謝します。何分にも50年に及ぶたくさんの写真になりましたので、コメントが充分でなかったり、誤りがあったかもしれませんがお許しいただきたいと思います。
一人でも多くの地域の皆さん方に操南中学校の事を知っていただけたなら幸いです。
昭和62年の教職員 前列左から7人目は15代小原賢一校長(昭62~63年)
開校以来はじめての生徒総会
遠足は鷲羽山ハイランド
吹奏楽部と土師先生(昭61年から12年間在籍し熱心な指導で吹奏楽部を県内屈指の有力校に導いた)
野球部は岡山市軟式野球大会優勝の活躍
昭和63年県代表で中国大会出場の軟式庭球部(男子)
同じく陸上部員と岡田先生
全国大会出場のハンドボール部(男子)
同じく水泳部員と吉田先生
昭63年新入学の1年生 あの子と一緒になれたかなとワクワクしてクラス分けの表を見た記憶がありますね。
上級生から入学祝いの花束を受け取り中学生の仲間入り
中学校生活最初の給食 皆うれしそうですね。
この年4月10日は瀬戸大橋開通の年で博覧会へ行きました。
平成元年開校記念日に上空から
2年生は遠足で倉敷美観地区へ
運動会 この当時3年女子はパラソルを持ってのパフォーマンス写真が多いですね。
2年B組 メガホンやボンボンを持って先生も一緒に応援風景
平成2年当時の教職員 前列左から7人目は16代岡島将校長(平元~3年)3年生7クラス
修学旅行 長崎平和公園
鷲羽山ハイランドへ遠足
平2.9.21運動会 堂々の入場行進
3年男子の五段の組体操 何人の力が合わさっているのかな 一人欠けても崩れます。観客席から大きな拍手
平3.3.30新体育館(現在の)完成
バレーボール部(上記)やバスケットボール部・卓球部
剣道部などは新体育館の完成は喜び
平成3年 運動会の障害物競争3年女子
大分県別府に到着の修学旅行
中国大会出場の陸上部員
同吹奏楽部員
平成4年 平和学習(広島)の2年生
平5.3.6完成の柔剣道場 学校施設の全容はほぼ整う
野外活動の玉野レクレーションセンターでのキャンプファイヤー
平成5年 剣道部 女子は中国大会出場
県大会優勝 中国大会出場のサッカー部
県大会銅賞の合唱部
上空からの写真 新テニスコートも完成現在とほぼ同じ
平成6年の教職員 前列中央は17代の玉光源爾校長(平4~8年度)3年生8クラス
3年E組の校舎屋上でのクラス写真 中央前方に前年オープンのふれあいセンター、右手に児島湾大橋が見える。
操明小はまだない。住宅と混在する沖新田の田園風景が広がり、遠く児島半島の山並みを望む思い出の景観
平成6年の文化祭 祈りを捧げるシーンが印象的
同年運動会で3年Ⅾ組の長縄跳び こちら男子向こう側女子全員の息が合って大ジャンプ。躍動感あふれるワンショットはプロの腕か。
修学旅行は長崎大浦天主堂前 近くに土産物売り場
授業風景
中国大会出場と打楽器六重奏で岡山県芸術奨励賞受賞 前年には同部門で全国大会銀賞の吹奏楽部と土師先生
県代表で中国大会出場の陸上部
同じく水泳部
平成7年 近隣の畑700坪を借りて野菜の栽培実習を
自転車通学風景
給食当番
卒業式で教え子の旅立を祝い歌う恩師の方々
平成8年6月新プール竣工式
吹奏楽部 木簡七重奏全国大会金賞・打楽器五重奏銀賞
操南祭をふれあいセンターで開催・4千人の参加あり
バンド演奏も盛り上がる
体育授業・新プールで水泳
卒業証書を授与する玉光校長
文責 萩原正彦
※ 操明懐かしの写真館は、このページを含め過去のページも左サイドの「メニュー」の「操明写真館」でいつでも表示できます。