操明懐かしの写真館(第21回)

操南中学校の歩み(その1)

戦後間もなく新憲法のもと学校教育法が昭和22年3月に制定され、六、三、三制を受け新制中学校が発足することとなりました。
昭和22年4月1日 岡山県上道郡三蟠村沖田村操陽村三ヶ村学校組合立操南中学校が設立認可され、同5月22日学校組合会が成立、管理者として三蟠村長の萩原萬衛氏が選任された。
5月1日に第一回入学式が行われ1年から3年生まで学級数4 生徒数168名を迎えて開校したが、校舎もまだなかったので操南小学校の講堂を仕切って授業をしていた。
父兄会はもちろん、村や地区民挙げての学校建設への熱意により昭和23年10月に待望の新校舎が竣工、運動場の整地作業には地区民が無償で労力奉仕24年3月に完了。
この頃よりやっと落ち着いて授業が出来るようになり、音楽、家庭科などの教室も何とか形を整えてきた。
戦後の混乱の中、生活もままならず物資も不足していた時代に、生徒たちにより良い教育環境を作ってやりたいという三ヶ村の村長はじめ地区民の熱い思いが中学校の発展を支えてきたといえます。
昭和27年4月には当地区が岡山市に編入のため岡山市立操南中学校となる。
同28年4月学区再編で富山小学校通学区域を操南中通学区域に編入。
昭和60年には生徒数1565人、36クラスというマンモス校となり富山中学校を分離
様々な歴史を刻みながら令和4年、中学校の誕生から75年、現在まで16,942人の卒業生を送り出してきた操南中のあゆみを5回シリーズで見てみます。

なお、今回のシリーズでは主に「岡山市立操南中学校創立50周年記念誌」平成9年11月1日発行の写真をもとに掲載していきますが、何分長い期間ですので写真の説明が不正確な点もありますので皆さんからのご意見、ご指摘をいただきながら一人の卒業生として母校のあゆみを懐かしく振り返ってみたいと思います。

   

                 平成10年頃の操南中学校の全景

玄関前にある石に刻まれた校訓
校章は創立時の三蟠・沖田・操陽三ヶ村組合立の三村の中学校を意味している

初代校長 太田寿三先生(昭22~24年度)
ゴンさんの愛称で慕われ昭和25年から11年間国語教師として赴任された妹尾権(はかる)先生が作詞された校歌の自書
操南を囲む児島湾、旭川、操山の自然を歌詞に取り入れたこの歌は我々一万七千人の卒業生の思い出。
先生は昭和43年から4年間2度目の赴任され教頭を務められた。(校歌は昭26年10月発表)
昭和22年5月開校式(操南小講堂前)
新入生

昭和23年3月 第1回卒業生20名

昭23年10月 待望の新校舎完成
バレーボール部員と大橋先生 戦後が感じられる
昭和26年当時の教職員 前列中央は藤井英雄校長
昭25年小豆島で臨海学校
昭28年学芸会
当時の英語の教科書 ジャックアンドベティ
計算尺を使った数学の授業風景
昭和30年木造校舎の左手に図書室(白い)その左手に音楽・家庭科室

家庭科室で女子の料理実習

運動会の入場行進 右先方に芥子山
全員で
ラジオ体操
野球部員と妹尾権先生
柔道部員
図書委員と前田先生
修学旅行で京都に
昭和31年当時の教職員 前列中央は蜂谷固校長(昭28~32年)左隣は妹尾、右端は白谷先生 当時の先生は厳しく鉄拳制裁(愛のむち)もあったが今では懐かしく思い出される。

文責 萩原正彦

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