操明懐かしの写真館(第19回)

小学校の歩み(その3)

                   

前回に引き続き昭和30年代からの節目の周年記念を中心に、時代の出来事や学校の様子を見てみます。
昭和の終わりから平成にかけては、市内でも有数のマンモス校となり学校運営にも支障が出るようになることから
新たに分離新設校の建設が進められる事になった。
用地の選定,学区の境界線の決定、校名の検討など地元の理解と協力を得ながら紆余曲折を経て、平成8年4月長い歴史と伝統を誇る操南小から分離し操明小学校が誕生することになった。

                      

昭和32(1957)年 創立85周年記念。小学校の南に道路をはさんで幼稚園(現在は公民館)があった。

                        

多くの地区民が祝いに参列した。

紋付羽織の和装のお年寄りも見受けられる。

講堂では記念式典が行われ功労者に感謝状の授与

校庭に舞台が設営され安木節に合わせて銭太鼓とドジョウ掬いの踊りや歌謡大会もあり大盛り上がり。

昭和48(1973)年創立100周年を迎える。左手にプールが隣りに3階建て鉄筋校舎  講堂の右手には移転新設された幼稚園が見える。

                

昭和51年3月講堂跡地に待望の体育館が竣工し式典の来賓に花束の贈呈
雨天での体育授業や夜間の利用でスポ少や地域のママさんバレー等にも大いに活用されることに

体育館玄関前で記念写真 助役・教育長に地元市議等と多くの関係者が参列し完成を祝った。

昭和58年 南棟を残し老朽化した木造校舎の建て替えが進んでいった。南側道路(宮道)に横断陸橋が見える

               

平成3年 新プールが完成

平成2年 5年生は渋川青年の家でカッター研修(海の学校)

平成3年 修学旅行で奈良・京都へ

            

京都太秦の映画村は人気のスポット

                           

平成5年 創立120周年記念式 左手に新プール建物は全て鉄筋校舎に 北側校舎の裏には補助運動場を拡張

                                 

120周年記念音楽会には大勢の父兄が見学

                          

急増する児童数、平成4年には千人を超え北運動場にプレハブ教室が並ぶ

平成6年2月分離校の建設に向けて用地の造成工事が進む

                

文責  萩原正彦

                

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