操明懐かしの写真館(第18回)

小学校の歩み(その2)

前回その1では操南小学校の誕生から戦前までの歩みを見てきました。
今回は終戦からの復興を目指し民主教育の始まった昭和20年~30年代までの小学校の様子を見てみます。       

操南幼稚園の園舎 現在は跡地に操南公民館がある。
当時は父兄の送迎は無く、小学生の登校班について1年間通園していた。

戦後に新築された当時は上道郡操南小学校の校舎

昭和28年4月 入学児童は私服を着ている。前年に岡山市立操南小学校となった 

                          

昭和29年 講堂で行われた2年石井学級の集合写真で男女とも制服を着ている。

                           

同年 卒業前の6年笹野学級 講堂南にあった二宮金次郎像の前で記念写真

                         

昭和31年3月31日 操南小学校父母と先生の会 前列に高岩校長とPTA正副会長や婦人会長等

                                  

検診する学校医の小坂先生

昭和24年から児童の栄養改善と体力向上に資するために給食が始まる。

運動場では男子はソフトボール

女子はドッチボールが人気

砂場での跳び箱

夏になると旭川や用水で泳いでいたが衛生上の問題もあり昭和36年に待望のプールが作られた。

秋の運動会は父兄も農作業を休んで多く見にきて秋の一大イベントだった。理科教室の前には大勢の人がいる。 

玉入れ競争

クラス対抗リレーの他に当時は町別対抗リレーがあり6年生が1~5年生の足の速い者を選んで地区の名誉を掛けて必死に走っていた。

組体操の準備中 北の講堂から木造校舎3棟があり北から南へ高学年から低学年の教室があった。

操南音頭を踊る児童 男子は白の体操ズボンかショートパンツ、女子はブルマをはいていた。

                

4年生の遠足は下津井の鷲羽山と象岩へ                        

5年生は児島半島の貝殻山登山

                      

6年生の就学旅行は奈良・大阪 高岩校長と6年担任の次田・田口・守時先生に養護の伊藤先生が引率

                      

2日目は大阪見物 大阪城前で男子児童全員が記念写真 昭和33年10月 

                                         

文責 萩原正彦

                           

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