操明懐かしの写真館(第9回)
新田の産土神 沖田神社
沖田神社は、江戸時代国内最大の新田開発といわれた沖新田が岡山藩によって開墾されたおり、広大な新田全体の産土神として藩主池田綱政の命によって建立された。
沖新田に入植が始まった元禄7年(1694年)、5月23日京都の吉田殿から正印を勧請、当初浜野にある住吉宮に鎮座した後、9月に旧沖田神社(現在の古宮神社)に遷宮、14年後の宝永六年(1709)に現在の冲田神社の地へ遷宮された。
春と秋の大祭が5月と10月の10・11日に行われている。
現在は氏子として、沖新田一帯と倉田新田、その他周辺地域に約一万戸を数える。
また、沖田神社の境内に道通宮があります。
祭神は猿田彦命で道開きの神として有名で開運を願って祈願する人が多い。
道通宮の由来は天正年間、備中高松城落城の際、城主・清水宗治の次男長九郎が逃れる際に、信奉していた道通宮に祈願したところ、白蛇が現れ浅口郡西大島御滝山へ逃れることができここに道通宮を祀った。その子孫が後に沖新田に移住し、寛政12年(1800年)4月12日に沖田神社境内に遷宮したと言われている。
大祭は4月の25日(お日待祭)と9月の25日(秋祭り)に行われている。
どちらの神社でも大祭の他、年間を通じて様々な祭事が行われているが、沖田神社では節分祭、茅の輪くぐり、七五三詣など、道通宮では、護摩焚き祭、子供会陽などがある。
時代の流れで豊作を願う祇園祭や奉納子供相撲などは今では行われていない。
沖田神社・道通宮では年間を通じて様々な行事が行われていますが、今回はその一部を紹介します。尚、新型コロナ感染防止のため昨年から中止、変更されている行事もあります。
両手を広げて神木の争奪をする子ども達(小学生男子) 左側にカメラ席、周りを囲む観覧者、江戸時代に始まり、大人の会陽も昭和29年まで続いたが以後は子供会陽のみとなっている。
参考 沖新田開墾三百年記念史
文責 萩原正彦