お祭り 氏神様の行事について

投稿日:2018年5月22日

 

関のお大師様

 

 

お社

元関町内会長故黒崎三木次さんのおまつり関連の原稿です、ここにご紹介いたします。

平成4年9月(1992.09. )
町内の  お祭り  行事について
関町内会長  黒崎  三木次

(1) 氏神様の石高神社は
(イ) 岡山市円山(まるやま)字(あざ)宮山 853 ☎0862-(77)-9003
(ロ) 参 道——〇歩くと➾➾百間川、今谷橋を渡り、直進し鳥坂峠(とっさか)
を越す。曹源寺を横切り、右側に在する。

〇車では➾➾
*西回り—-R2号線-門田屋敷交差点を左折-県道西大寺線
護国神社前~峠~東進し~トマト銀行曹源寺支店
を左折、左手の山~高い石段。
*東廻り—-百間川、今谷橋を渡り左折、今谷町内を下に見て、
今谷山長楽寺を右手に見て峠を越し、海吉(みよし)
に出る。倉安川に沿い、西進し富山農協の前から真
っ直ぐ。
(ハ) 祭 神(氏神様)――産土神(うぶすなのかみ)とも言う。
大名持命(おおなむちのみこと)と読む。別名を
大国主命、大穴牟遲神
大巳貴命、大国様
須勢(すさ)理(り)姫(ひめ)命(みこと)―――大国主命の姉(岩坪様)
(ニ) 境内総面積―――2625坪―――村社としては広い方。
(ホ) 由 緒(歴史)
備前の国古社式内外128社の一つである―――村社
〇宮山の北方、高倉山    大名持命    昔の石高神社
〇西方の岩坪(壺)様    須勢理姫命、この二社を併せて八幡宮と
称していたのを、明治4年にまとめて「石高神社」と改称し、幡多郷の総鎮守
産土神と決めて現在の位置に社を構える。

(ヘ) お祭日      10月5日

(2) 氏神様と氏子
氏神様とは    自分の住んでいる土地を守る神様のこと。
氏子とは     上記の土地内に住んで氏神の守護を受けている人々のこと。
石高神社には幡多・富山を主として氏子が居る。関町内に居住する約300世帯
の人々は、石高神社(氏神様)の氏子ということになる。(勿論強制的ではない)
従って氏神の事なら何はさて置き、協力、援助する仕来たりになっている。
氏神様の建物が朽ちたとか言えば、其の費用は氏子が差し上げる仕組みになっているので、今回も、昨年の台風19号で破損した社殿を修理する費用として、関町内の分担として、金12万円を、お供えをするわけです。

(3) 関町内「お祭日」の時の     イベント

(イ) ずっと以前は——
10月3日から6日で終戦前(昭和20年)は賑やかであった。3日は氏参り4日「ホームパーティ―」を開催したものだ。済んだら、親戚に行くのが、楽しみであった。小学校は地方祭として臨時休校であった。

此処で一句 !!!!! お祭や、箸で小いもを、追っかける !!!!!

6日は裏祭として農家は、野良仕事を休んだものだ。
何といっても、氏子にとっては秋祭りは、年中行事の最大のもので一番の楽しみであった。
第二次世界大戦(大東亜戦争)に負けて、マッカーサーから、神事に関する行
事は一切罷り成らんとなったので中止した。神主(官主)は失業した。

(ロ) 最近は——
皆さんご承知の通り、10月第一・土曜、日曜を「秋祭の日」と決め、色々と親睦の輪(和)を拡げる行事が行われています。これは今年も町内行事としては、最大のものとして盛大に、取り行はねばならないと思います。これが、氏神様に対する、敬愛の念、の表示であり、お祈りになるのでしょう。
どうぞ、皆皆様のご協力を願い上げます。

(4) 関町内には次のような末社(分院)があります。
〇常燈明様‐‐‐‐‐(俗に じようとめさま)といって輪番で、ロウソクによるお灯明を差し上げています。(岸本 斉氏宅の北裏)この祭神は、須勢理姫命(岩壺さま)亨和2年(1802年)190年前の灯明台があります。

〇四の宮様
関北町内、石井組の西隣りで畑の中
五角形の小さい碑の一面に、大巳貴命 とある。

〇今成様
粗大ごみ置き場の隣の田圃の中にある。俗に、イナモリサマ といっているが、祭神は不明、灯明台に年号があるが読めない。(今成神らしい)
*この程度の無格社は上道郡内に、130社ある。
◎ 持回り氏神様     1ケ月毎に氏神様のお社をいただいて次へお送り
する。
(5) 社 格‐‐‐‐‐神社の格(これは戦前のこと)
〇官 幣 社   ○国 幣 社   ○県 社   ○郷 社
○村 社     ○無 格 社  が戦前あった神社の格(社格という)

以上

 

カテゴリー:関の昔・むかし

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