米倉博物館


展示NO-G01 「どう丸かご」 「てだま」

 「どうまるかご」の語源はわからないが、何だかイメージがわいてくる、うなぎとかカニは蓋をしてないと、いつの間にか川に帰って行く。
 船縁に「どう丸かご」を吊り下げ、ガス灯を灯して夜通し四手網をする船が波止場の先に連なっていた。

 「てだま」は、土用のころ田の水を落し稲田の土用干しをした、その時にとび口(田の水の出入り口)に「てだま」を受け(田受けと言った)出てくる魚を一網打尽にした。

  内川の漁獲は、めだか・じゃこ・ふな・こい・ぼら・いな・うなぎ・どじょお・なまず・ぎぎ・どんこつ・はえ・すっぽん、そして川カニ、川えびなど、それぞれ生活の蛋白源であった。
 その他にも、たにし・からす貝なども生息していた。
 漁法は季節で異なり、四手網・竿釣り・追い網・前かき・田受け・夜ぼり・投網・はえなわ・投げ針・ゆぐえ・もどし(地獄網)・竹の筒・カニ籠・うなぎ掻き・ヤス突き・そしてつかみ取りであった、名称だけでは想像出来ないかも知れませんが楽しみと共に生活の糧であった。

 外川(笹ケ瀬川)での漁獲は内川魚の他に、ちぬ・べか・白魚・あみ・しゃこ・てんごうエビ、しらすえび、そして貝類では、しじみ・はい貝・ちんだい貝・かき・などもいた。
 そして、ザリガニ・平家ガニと呼ばれた奇妙なカニが生息していた。
 また、今では天然記念物に指定されている「かぶとかに」もいた。。

 児島湾淡水化と共に姿が消え、寂しさと共に冬の時期「メダカの煮付け」や「ふな飯」の味を懐かしく感じる。
 昨今、盛んに米倉港で釣れる「ブラックバス」などの外来魚はいなかった。