米倉博物館


展示NO-N37 「みの」

 太田道灌(おおたどうかん)(1432〜86年)室町後期の武将で、長禄7年(1457年)江戸城をつくる。
 その道潅が鷹狩 りに出たとき、にわか雨にあい、とある民家に立ち寄り雨具を借りようとした。すると中から少女 が出てきて無言で山吹の花一輪を差し出した。道潅はその意を解することが出来ず、腹を立てて家 に帰った。
 そのことを家臣に告げると、それは「七重八重花は咲けども山吹のみの一つだに無きぞ 悲しき」という古歌に寄せて、暗に雨具のないことを告げたのだろうと教えられ、己の身の無学を 恥じ、大いに発憤して学問に励み文武両道の名将になったという話は良く知られている、その「みの」である。

 すすき、かや、すげなどの茎・葉などを編んで造った、また、藁、しゅろうなどでも造った。
 昭和20年代まで、田中地区の御南中学校、ポリテクセンター、県社会福祉センターの当たりは葦野が原であった、その葦に混ざって「かや」が群生していた、それを刈取り乾燥させて「みの」を編み雨具とした。
 軽くて作業性も良く、そして通気性もあったので「雨かっぱ」が普及するまで広く使用された。