米倉博物館


展示NO-N33 「足踏み脱穀機」

 動力脱穀機の普及以前、昭和の初期の頃まで「足踏み脱穀機」が活躍した、稲束から脱穀の後にNO−39で「ふるい」に掛け、穂に残った籾はNO―34の「ブリコ」で打ち落していた。
 それでも、「足踏み脱穀機」の出現によって「千歯こぎ」作業からから開放され、秋の収穫作業は大きく低減された。