米倉博物館


展示NO-N20 「こも編機」

 戦前、戦後の食糧難の時代は裏作に小麦や大麦が盛んに植付けられ、白米のご飯は盆と正月だけで日頃は反白(大麦と米が半々)の食事であった。
 大麦は精米の後、ローラーに駆け少し平たくして良く研いでご飯にした。
 昭和30年代の中頃まで、この地方では小麦の栽培が行われ、小麦は粉にして「うどん」や「パン」に加工された。
 「麦わら」は風呂やかまどの燃料として多く使用された、「むぎ藁」は灰の量が少なく、また火力もあり稲藁に比べて重宝された。
 また、「こもあみ機」で「こも」に編み、夏場の日避けや雨避けに使用された。