場 所 岡山市賞田字中田
行き方 宇野バス四御神行「脇田」下車 賞田廃寺入口
説 明
祇園用水の一つ、竜の口山麓に沿って東へ流れる古田樋尻川は賞田廃寺の入口(賞田字中田)で二つに分かれる。そのまま東へ真っ直ぐ流れる川を山手川、直角に南に流れるのを中田川という。この用水を利用している農家の人々はこの辺たりを七ツ石と呼んでいる。
直流する古田樋尻川の用水の一部を中田川へ流そうと大人一人ではとても動かすことができそうもない大きな石を七個、山手川入口へ並べ、流れを堰止めている。石は川底へ三個、土台のように埋め、その上に四個立てるように並べられている。ここから七ツ石と呼ぶようになったといわれている。
旭川から引いた水は、祇園大樋で新田用水、古田用水、後楽園用水、外田溝用水などの幾つかに分けられ、旭川の左岸、備前平野一帯を潤している。今は宅地化が進み、農地はかなり減っているが、昔は灌漑面積千八百ヘクタールといわれ、備前の穀倉地帯の灌漑用水を賄って来ていたものである。
このうち古田樋尻川は祇園大樋では最大の幹線水路で、百間川から東側、高島、幡多、財田、古都、富山、さらに浮田、可知まで約千ヘクタールを山手川と中田川の二つの用水路とその支線で灌漑している。
水は米つくりの命、七ツ石で分けられる水の量が下流の農家の収穫を左右する。農家にとっては水を堰止める石の並べ方、起こし方が最大の関心事、七ツ石には「七」の字が彫り込まれている、ある石の字が総社宮を、ある石の字は岡山城に面するように並べる決まりになっているという言い伝えがある。
七ツ石の管理は中田地区の農家が行っている、農閑期には石を倒し、田植え時期になると石を起こしていたが、農地の減少、用水路の整備で用水不足の心配もなくなり、十数年前に上側の三個の石を動かないようにと上に架けられている石橋と鎖でしかっと固定したとのこと。
用水の関心はかなり薄れてきているが、古田樋尻川が農業用水である限り、この七ツ石だけは絶対に手を入れることが出来ない。用水に埋没された水道管もここで迂回、道路の下へ埋没されたということである。津田永忠の祇園大樋とともに後世に長く残したいものである。
七ツ石付近の用水路には国指定のアユモドキをはじめ多くの種類の淡水魚が生息しているが年々減ってきている、賞田町内会では「淡水魚保護の町」を宣言、淡水魚を保護、増やそうと努力している。また、このあたりはホタルが多い所である。
(祇園 仁後利喜夫)