北之町は観音院の北に位置し、町の両側を、西川・新堀川(秋芳川の分流)が流れ 新堀川は吉井川に流入しています。 江戸時代から、高瀬舟が往来して商品が荷揚げされ数々の卸問屋(ランプ問屋・米問 屋・呉服問屋・海産物問屋・肥料問屋等)があり問屋街として賑わいました。 町の中を県道:西大寺ー牛窓線が通っており、夜は東京方面から竹原経由で車が荷 物を九州方面へ向けて運ぶ主要道でした。 道が狭いので昭和10年に家の軒を切って道を広げました。 「看板建築」といわれる(今もなごりを残しています) 家の前が洋風で家の中は昔ながらの造りの建築様式です。 高瀬舟を係留した榎、荷揚げの時使用した雁木が今でも残っています。 その他「木野山神社」「琴松庵」「大正時代の水道栓」もあります。 現在は、4班、51世帯で構成されています。 北之町という地名の起こりは、江戸中期には、観音院の北に当たるから、 北口といっていたのが、後に北之町となりました。 |
参考文献:西大寺町史・西大寺公民館デジタルビデオ編集講座製作DVD |
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