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◆ 学区沿革甲浦学区の成り立ち明治22年市制町村制施行に伴い、郡村、北浦村、飽浦村、宮浦村の4村が合併、児島郡甲浦村となる。 昭和27年4月には、いわゆる昭和の大合併により岡山市へ編入合併する。 編入当時は、郡、北浦、飽浦、宮浦の4町内会であったが、昭和36年7月に北浦南町内会、昭和54年8月に南平台町内会、昭和57年11月にシーサイド町内会、昭和59年12月に弁天町内会、平成元年4月に松尾町内会が設立され、9町内会となる。 平成14年4月には、旧岡山県運転免許試験場跡地に開発された分譲団地にグリーンテラス町内会が設立され、平成17年4月には、クリエイティブタウン郡町内会が設立され、現在、11町内会となっている。 児島支所現在の岡山市児島支所(岡山市北浦)の建物は、昭和初期に児島郡甲浦村役場として建築された。 岡山市合併に伴い岡山市児島支所となり、その後、岡山市の組織改革により岡山市児島出張所となり、現在も昔の姿をそのままにとどめており、甲浦学区における歴史的建造物のひとつである。 なお、平成16年4月には児島支所に格上げとなり、住民サービスの向上が図られている。 旧運転免許試験場岡山県運転免許試験場は、昭和44年岡山市郡地内に開設されたが、敷地の狭小さ、地域利便性の問題から、平成5年に御津郡御津町地内に運転免許センターが新設されたことに伴い廃止された。 現在、その跡地は、分譲団地グリーンテラス郡となり、その一角には、岡山市によって1haのグランドを有する郡公園が整備され、多くの地域住民に利用されている。 岡山県運転免許試験場は、昭和44年岡山市郡地内に開設されたが、敷地の狭小さ、地域利便性の問題から、平成5年に御津郡御津町地内に運転免許センターが新設されたことに伴い廃止された。 郡公園
道路交通の歴史戦後、陸上交通機関に恵まれない臨海地域では、内海航路をはじめとする海運が大きな役割を果たしていた。 宮浦に寄港し岡山市京橋に至る「初丸」(南備海運(現在の両備運輸))や「出崎丸」、さらに飽浦・三蟠、北浦・福島、郡・福島を それぞれ結ぶ渡船もあり、こうした海上交通路は、岡山市街地と甲浦学区のある児島半島東部とを結ぶ重要な交通手段であった。 その後、昭和34年に児島湾締切堤防が完成したが、堤防上の道路は農林省管轄で、当初から有料道路となっていた。 長い間の運動の結果、昭和49年に無料化され、岡山・玉野間の短絡道路として活用されていたが、大型車両の通行が禁止されていたことから、 これに代わる道路として、昭和53年に児島湾大橋の建設が開始され、昭和58年に完成した。 この県道岡山玉野線は、岡山・玉野間のみならず京阪神方面への連絡道路として重要な役割を果たしており、 通行量も増大するなど、甲浦学区は大きく変貌を遂げている。 児島湾締切堤防道路の無料化昭和34年締切堤防完成と同時に、甲浦、小串地区に「有料反対同盟」(後に「無料開放連盟」に改組)が結成され、岡山市議会にも「無料開放 特別委員会」が設置されるなど無料開放を目的とした大きな市民運動が続けられた。その間に、最初は、リヤカー、原動機付き自転車まで有料であったが、 昭和43年に二輪車以下が無料となり、以後三回の料金引下げが実施された。 県、農林省により本格的に無料化が検討された結果、堤防は県が管理することとなり、昭和49年10月1日から通行が無料となり、 堤防上を通過する定期バスの料金も11月1日から区間により10〜20円引き下げられた。 なお、堤防の通行については、堤防の保全等のため、14トン以上の車の通行禁止、制限速度は時速50kmとされている。 児島湾締切堤防の当初計画は、農業用水の確保、宇野線の短絡鉄道、岡山・宇野短絡道路を目的としていたが、 鉄道、道路の計画は取りやめとなり、土地改良事業として農林省が昭和26年着工し、昭和31年には潮止め、昭和34年に完成した。 延長1,558m 幅 30m
天皇が締切堤防工事現場行幸啓の際に、その感興を歌われたものを記念して造られた石碑で
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