三蟠軽便鉄道、道床跡散策   
    三蟠鉄道研究会が、平井地区を   
     平成26年5月5日(月)  
    昭和6年6月28日 廃業認可を得て、約15年10ヵ月あまりの短命に終わった、幻の軽便鉄道の、ありし日の勇姿を探ろうと、三蟠鉄道研究会では、このたび、平井地区を散策するコースを歩みました。  
    廃業時に湊駅があった専光寺前(岡山市中区平井一丁目)の倉安川沿い桜並木通りに集合しました。   
    専光寺は鉄道廃業当時、橋本幾治氏の別荘があった場所で、別荘だった上には、今も橋本家先祖の墓所が残されている。(参照画像あり)  
    現在の倉安川交差点の下は、鉄道運行当時、倉安川に架かる鉄橋がありました。 運行当時の写真、廃業後のアバット跡の貴重な写真が残されている場所です。  
     私たちは鉄橋を渡った南側の道床跡で集合写真を撮りました。   
       
平井六丁目、倉安川交差点付近      
       
  画面の後ろ250メートル、専光寺前に湊の駅がありました。倉安川には現在県道旭東玉野線がクロスしていて、当時の面影はありません。 集合写真の、この場所は鉄道が走っていた道床跡です。ゲージ762ミリの位置にビニールテープで表示しました。    

 

旭東玉野線をくぐった位置なので平井六丁目です。    
     
道床跡で当時を偲んで語るメンバー     
     
     
次に到着したのは、現ワールドオプティカルカレッジ南の用水の擁壁に残るアバット跡です。 この用水は平井元町と平井上町の境界にもなっています    
       
平井六丁目アバット跡がはっきり残されています。 
   
  この用水を跨いで、颯爽と蒸気機関車が走っていたんだと、感慨深げに 当時を偲びました。画面左側には土手の、のり面に岡山藩が設置した砲台跡があります。


平井六丁目、現在野菜畑となっている道床跡   平井七丁目、右の民家の下を、かつて、道床が用水を跨いでいました。現在もアバットの跡がありました。
   道床幅がくっきくりと解ります。  
前方、平井山妙廣寺山門まで約100メートルの距離です。
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