おじゃまします・・・・   第十弾
<このページでは、原町内にお住まいの方を訪ねて、日頃の生き生きとした活動を紹介します>

  須々木 豊 さんと須々木 安弘さん
 
   
【地域社会のみんなで子供を育てる】の巻
 
 今回は船山地区にお住まいの 須々木 豊 さん(写真左)と 、須々木 安弘さん(写真右)をお訪ねしました。

 お二人は船山地区に「ちびっ子広場」を創設し、地域の子供たちに開放しています。

 お二人のこうした活動が評価され、平成17年度、緑化・美化功労者として市長表彰されています。
(詳細は2005/10/31のトピックスに紹介されています。)

 須々木 豊 さん(写真左)は昭和12年9月1日のお生まれです。現在も現役でアルミ加工を行う鉄工所を経営されておられます。引退したくても周りが辞めさせてくれないそうです。広く人脈をもった人徳のある方は、いないと社員は困るのですね。機械のプロだから、遊具の保守点検もできてしまうのですね。

 須々木 安弘さん(写真右)は昭和7年6月1日のお生まれです。元気の源はお好きなお酒と言いたいところですが、過去に軽い脳梗塞を患ってからは、医者に控えるように言われているそうです。昔は朝に魚の配達、午後に米屋の仕事と忙しく走り回っていたとのこと。現在、脳の検査の結果は良好で、脳梗塞を補う新しい血管が再生していて、言語障害や手足の障害もまったくなく、元気そのもの。お医者さんもびっくりだそうです。最近はお弁当をもっては西は吉備津、東は上道、北は建部までサイクリングに出かけるそうですから、驚きです!


ちびっ子広場にて
 そもそもどういうきっかけでこの広場ができたのでしょうか?
 その理由をお聞きしました。

 ご自宅も隣同士のお二人は、お酒を酌み交わしながら、いろいろ語り合っていたところ、自然と次の理由から広場を誕生させる条件がそろったそうです。
  1. お二人ともに孫娘ができていたけれども、地域に遊ばせてあげられる場所がなかった。
  2. 須々木 安弘さんが所有し、菜園にしていた場所は、周りの環境も安全で広場にするのにちょうど良かった。
  3. 牧石の保育所が移転しようとしていたころで、昔のジャングルジムや滑り台を自ら取りに来られる人がいれば、引き取ることができた。須々木 豊さんは会社で切断機を持っており、それができた。

船山集会所でお話を伺いました
 それにしても、地域に対する深い愛情やボランティア精神がなければ、なかなかできることではないですよね。

 ただつくるだけではなく、公園を管理することは大変なこと。

 あるとき、中学生がエアーガンを持って玉を飛ばしまわっていたところを、須々木 安弘さんが注意したところ、なかなか言うことを聞きません。この広場は小さい子向けの場所だからといって、粘り強く中学校にまで働きかけたそうです。すると、後に学校の先生がその生徒たちを連れて公園の掃除をしにきたそうです。
 須々木 豊 さんも遊具のペンキを塗ったり、緩んだボルトを点検しては締めなおされたりしており、公園管理は大変なことです。

 船山地区はとてもまとまりがよく、地域で子供を育てようといった住民のつながりもあります。
 それは、氏神様のお灯明が地域の当番で365日絶やされることがないといった習慣が今も守られているという事実が物語っています。

 ちびっ子広場では船山地区単独主催の運動会でランニングコースになっていたり、花火大会の会場になったりで大活躍。

 取材の日はあいにく雨でしたが、子供たちが元気に公園の前の道をかけてくる姿が目に浮かんでくるようでした。

 これからも、こうしたあたたかい地域の交流とともにちびっこ広場を守っていかれることを願います。


訃報:
須々木安弘さん 2009年3月27日にお亡くなりになりました。
ご冥福をお祈りします。

ちびっ子広場の全景