2004年7月
木野山さまの祭礼
岡山平野は紀元前500年ごろは瀬戸内海の海底でした、年を重ね旭川と笹ヶ瀬川の堆積作用によって平野が作られ、平安時代から鎌倉時代にかけて開墾が行われ荘園が作られてゆきました。
江戸時代に池田氏が児島湾沿岸の葦のはえた干潟の新田造成に着手し、寛永5年(1628年)和気与左衛門によって米倉の地が干拓されました。
それまで児島と岡山の間は「吉備の穴海」と呼ばれ遠浅の海でした、この干拓を人々は鍬や鋤ともっこなどを使って土手を築き溝を整備して田を造成しました。
明治以降も藤田地区や岡南の浦安地域が開拓され、締切り堤防が完成し児島湾は児島湖となりました。
その間、人々は風水害に襲われ伝染病におびえ高い年貢に悩まされながら、この地を守ってきました。
井戸を掘っても塩分が多く、昭和の初期に上水道が敷設するまでは生活用水として雨水と川水を利用し、農業用水も日照りが続くと稲が育たず、雨季には水害に悩まされ、各所に大変な苦労の後が残されています
木野山神社には、次のような話が伝わっています。
江戸時代のある時期、米倉村はじめ周辺の村々が疫病で苦しんだことがありました。高梁市津川町今津に鎮座する木野山神社が疫病に霊験あらたかなことを聞き、村の代表が木野山神社に参拝して、その分霊を米倉にお迎えしてお祀りしました。
今も伝統行事として4月上旬木野山神社の祭礼に合わせて、地区の代表が高梁市の本山に代参しています。
また、毎年夏7月ころに米倉木野山さまに地域住民や子供たちも集まり、神官を迎えて無病息災を祈る行事が行われています。
米倉・木野山さまの小祠は、米倉公会堂の北側の水路沿いに石の囲いがあり、そこに祀られています。
祭神は、大山命・豊玉彦命・大己貴命です。
なお、「木野山さまの由来」に関しては、「米倉町内会ホームページ」の「わがまちの歴史」で紹介しています。
この他、地域の祭礼としては、水の事故のないよう、そして豊作を祈る行事として、「水神さま」の祭礼。
また、年2回、社日(しゃにち)の日に、春は生育を祈り、秋には収穫のお礼参りをする行事として地域の人が集まり
「地神さま」の祭礼が行われています。
先人たちの思いを絶やすことなく地域住民で守り引き継がれています。
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