【歴史】津倉町だんじりの話
投稿日:2022年9月4日
最近は朝晩がめっきり涼しくなり、秋の訪れを感じる日が増えました。(日中はまだ夏かなと思う暑さですが・・・)
秋になると聞こえてくるのは、お祭りの音色です。ここ津倉町にもだんじりがあり、それにまつわるお話をだんじり研究家 田中豊氏より津倉町内会 副会長の次田さんが聞かれています。数年前に引っ越してきた私としては興味深い話です。次回、だんじりにお目にかかる時には側面の図柄を確認してみようと思いました。
~次田さん寄稿~
津倉町のだんじりはそれに記されている文字より文久2年 (1862)~明治13年(1880)の間に作品が残されている備前岡山の和久田國太郎一幹の作と判明。津倉町のだんじりの材質は欅(けやき)で、その側面は一方が虎と竹の図、虎の唯一の敵は象であり、身を守る安全な場所は竹林であり、従って虎と竹の組み合わせは安心、安全の象徴として彫刻の題材になったと言える。だんじりの一方の側は獅子と牡丹の図柄。(唐獅子牡丹は映画でお馴染み。)これは屏風絵に描かれるほど昔からの美術的題材。これらの地味で小ぶりな図柄が幕末の作品の特徴である。この時期岡山池田藩は奢侈を戒め取り締まったため彫り物師たちは地味な図柄を求めざるを得なかったためと考えられる。だが制作年代を記した証拠はまだ見つかっておらずこれが見つかることが期待される。
因みに藩の規制が解かれた明治期に入ると自由奔放、大胆、派手で躍動する龍のような大ぶりな作品がつくられるようになる。
また田中氏の指摘により町内会倉庫の二階を探したところ、長持の中から布製の胴を付けた保存状態の良い獅子頭を発見。文献によればだんじりと獅子頭はセットとのこと。この時獅子頭と一体の鈴と剱も発見。獅子頭の一本角は幕末の特徴とも言えるが残念なことに片方の耳が紛失していた。獅子頭は作者不明だが比較的新しいので作り変えられたものと想像される。同じような例は伊福町西町に存在し、尾針神社の祭礼にはこの町の獅子舞いが神社に奉納される。和久田國太郎一幹の作は津倉町のほか、平井、北川、今村、森下、大安寺西町にも見られる。
昭和二十年六月の岡山空襲で市の中心部は焼け野が原になったにもかかわらずこれらのだんじりが今日まで残り、活躍していることは貴重なことといえる。
追記
紛失されていた獅子頭の耳(筆者の記憶では70年間以上の紛失)は町内会文化部長若佐次男氏自らの技量と執刀により桐木を用いて見事に修復されました。
同時に朽ちかけていた獅子頭の頭髪は取り寄せた馬の毛を用いてすべて植え替えられ、胴体の布の部分や剱や鈴に至るまでよく手入れされこれも見事に復活されました。これは平成29年9月9日、集会所において役員会の場で展示され第一回目のお披露目の運びとなりました。若佐さんありがとうございました。
なお田中氏より皆様にお願いがあります。だんじり制作年代を探しておりますがいまだ見つかっておりません。残るは太鼓の中、だんじりと太鼓は同時期に作られた可能性があり、将来太鼓を修理する必要が出てきたとき、中を見て手掛かりとなるようなものが見つかれば連絡いただければ幸甚の至りです。