「津倉古墳」の発掘調査報告会

投稿日:2018年12月16日

12月16日(日)岡山大学大学院(社会文化科学研究科)の光本順准教授をお迎えして、5年に渡って行われた「津倉古墳」発掘調査の内容を解説していただきました。皆様の中には、毎年3月に実施された発掘現場説明会に参加された方もおられると思いますが、地元の古墳ということで関心が高く40数名の方が出席しました。(小学生12名)

この調査によって、古墳の造築時期や形状、規模の確認。また貴重な埋葬品も多数発掘されたことから相当身分の高い人物ではないかと推定されています。1700年前の完形壺形土器、鉄製の刀剣、朱色顔料、装飾品、土器破片に加えて高貴な人物に付き物である青銅鏡が出土したことは研究資料として一級品であると考えられています。

以上の情報は、既に岡山大学大学院の光本准教授から伝えられていましたが、その後の研究成果を含めて詳しく解説していただきました。

 

 

(以下、光本准教授の解説要点)

1.なぜ津倉古墳に着目したのか?

①実態が良く分かっていない古墳

・1975年文献「吉備の国」の文中に「つぐら古墳」として登場  (1972年:岡山県遺跡地図発刊)

②古墳時代前期(3世紀後半~4世紀)の地域社会、古墳時代の身分格差?

・前方後円墳に比べると小規模な古墳である

2.調査成果の概要

①測量調査・・・三次元計測の実施

②墳丘の発掘・・・・墳長38.5m

③埋葬施設の発掘・・・レーザー探査・電気探査による調査

 

 

3.津倉古墳の歴史的意義

①いつ津倉古墳は造られたのか・・・4世紀初頭(古墳時代前期)

②多量の香川県の石を使用・・・豊島の石と判明。石材が多く、前方後方墳は津倉古墳の特殊性を示す

③埋葬施設間の関係・・・施設間の格差が小さい特徴がある(配置、規模、石材)

④墳丘の土器配置・・・前方部前端のみに壺などの土器配置は、まれな事例である

⑤石室内の土器副葬・・・貯蔵具の配置は規則性に準拠しているが、岡山南部では初の事例である

⑥銅鏡からみた津倉古墳・・・中国の鏡を模して日本列島で作られた倭製鏡で「だ龍鏡」がベース作品、「捩文鏡(ねじもんきょう)」の様相を併せ持つ鏡である

⑦津倉古墳の被葬者像・・・瀬戸内の海上交通ルートにおいて活躍した人物か?  古墳の形、大きさ、鏡などからみると、NO1ではないが個性の強い「新進気鋭」の者か? 棺の中の出土品から女性の可能性がある

 

 

4.今後の研究

岡山大学は、今後の発掘調査は考えていない。貴重な資料となる遺物が少なからず発見されたことで今後は、津倉古墳のもつ社会像や古墳時代前期の吉備の政治動向について更に分析を進めたい。

カテゴリー:わいわいESD

SNS
検索
ページトップ