古文書に見える「津倉町」の姿
古文書に見える「津倉町」の姿
1.当地の存在を示唆する最古の文献
・古墳時代の4世紀初頭には、「津倉古墳」が造られたことがうかがわれ、有名な「造山古
墳」でも5世紀の登場であり、古墳規模は小さいが当地は太古から歴史の舞台にあった
ことが容易に想像される。古墳形式からかなり身分の高い人物のものと思われる。
・西暦646年、大化の改新によって、「班田収授法」が創設された。その実施にあたり、農
地を東西南北の条理(土地のくぎり)で区画したが、「金山寺文書」の中に中世の条理地
名を記載した文書が残されている。(別図 条理復元図)
*この条理復元図によると、現在の「妙林寺」敷地あたりが「津倉」「津倉北」とある。
・また、「大安寺伽藍縁起並流記(資材帳)」の中で、すでに西暦740年ごろには、当地方
が存在していたことが記されている。
2.古文書に集落として登場する津倉
・当地は江戸時代から「上伊福村」に属し、枝村として津倉、別所、定国、栄ヶ崎があった。
そして、南(下伊福)は山陽道、村の前を座主川(ざすがわ)が流れ、東北には粟岡大明
神(現尾張神社)を配していたとされる。
・また、「備前記」によると、当村は「むしろ」「畳の床」を打って産業としていたようだ。
(津倉古墳の詳細)
形式 : 前方後方墳(全長38メートル、高さ2メートル)
場所 : 妙林寺の後方墓(石碑あり:未掘のため詳細不明)
アドバイス頂いた郷土史家 参考とした文献
間野行治 先生 京山物語 備前記
岡山県地名辞典
源平盛衰記