今村の歴史

昭和30年発行今村史より抜粋

地形の変遷

本村は1千年も前は海であった。(中略)各河川から流し出す土砂が海岸及び島の廻りに堆積して次第に西南に伸びた。之が後の鹿田庄で、これに前後して出来たのが本村最初の陸地松之島(現在の白髭宮附近)であった。この時代より人の力も加つて今村附近も次々と拡げられ今日に至った。

天災異変

昔から特定の村だけの天変地異というものは殆どない。特に内海に南面した平和な条件の多い本村だけに大きな天変地異は全くなかった。水源の近い笹ヶ瀬川は村の西端を流れているが水禍の歴史はないし、地勢の関係か大暴風の進路に当たった事も稀である。其の上激しい地震の記録も非常に少く極めて穏やかな村と言うことができる。

明治22年 今村の集会場を改造して今村役場として事務を執ることにした。

大正7年7月 竹通公会堂完成(850円 2階建て 階下は物置)

大正8年 初めて電燈がついた。

昭和7年12月上水道完成

昭和10年頃より急速に増えた藺草の植付は遂に全国一の藺草生産村となった。

昭和26年 人口3321人

昭和27年 岡山市に編入

 

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