戦国の貴公子宇喜多秀家☆フエス

投稿日:2019年10月13日

10月13日(日)岡山城天守閣前広場で行われた、戦国の貴公子宇喜多秀家フエスに行ってきました。

宇喜多秀家

宇喜多 秀家(うきた ひでいえ)は、安土桃山時代の武将、大名。豊臣政権下(の末期)の五大老の一人で、家督を継いだ幼少時から終始秀吉に重用されていた。通称は備前宰相。父直家の代に下克上で戦国大名となった宇喜多氏の、大名としての最後の当主で …

豊臣秀吉の死後、豊臣家内で武断派の福島正則と加藤清正らが、石田三成との抗争が始まりました。慶長5年(1600)徳川家康が会津征伐のため出兵しているのを機に石田三成と毛利輝元は徳川家康を打つため挙兵します。宇喜多秀家は、西軍の主力として伏見城の戦いでは総大将として参加し攻略し、その後、伊勢国長島城を攻撃し美濃国大垣城に入城し西軍本隊と合流しました。しかし、同じ豊臣一門であった小早川秀秋が徳川家康率いる東軍に寝返ったため西軍は総崩れとなり、宇喜多隊は壊滅

豊臣秀吉の秘蔵っ子である宇喜多秀家は、関ヶ原に参加した武将の中では最も長く生きました。ただ、その半数の50年間は関ケ原後に配流された八丈島で暮らしました。

岡山城及び・八丈島関連踊り・太鼓

本日のメインイベント鉄砲隊による砲術披露

 

 

 

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