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文献資料

富山村精隆社 関係資料

昭和27年に上道郡富山村は岡山市へ編入されましたが、そのときの混乱でいくつかの郷土資料も散逸したようで、そのうちの一つが心ある人の手元に残っていました。

その中の一つがここに紹介する「富山村精隆社」という地域団体の資料「富山村精隆社社則」(明治28年)と関連内規「節倹申合規約」(明治37年)各1冊です。

当時(明治28年)の富山村は海吉・福泊・山崎・円山の4地区でしたが、紹介する資料に付いている人名録〈名簿)には海吉出村の住人だけが載っており、察するに社則や規約本文は共通で各村落ごとの分冊になっていたと思われます。

本件寄稿者は昭和11年生まれの地元民ですが、この資料を目にするまでは「精隆社」の存在はつゆ知らず、その名称すら初耳でした。

でも、資料を紐解くほどに、次のことが分かってきました。

  • 精隆社とは、後(明治39年)に発足する青年団の前身的な自主・ボランティア団体で、世直しや修養、防火防災を目的とする地域の自主組織ではあるが、特に政治色や宗教色はない。
  • 日露戦争開戦に際しては「節倹」を申合せる等、当時の世相を彷彿とさせる。

やがてこれらの資料も県立記録資料館へ寄贈されることになりますが、往時の時代背景を雄弁に物語る貴重な歴史資料としてホームページに紹介する次第です。

    令和2年10月

(寄稿:小野田利正 / 情報提供:福森和子)

(1) 精隆社 社則

精隆社 社則 表紙

  • 明治28年2月更生
  • 1枚の和紙(縦24センチ×横17センチ)両面に毛筆墨書縦書き
  • 本文 3章〜22条     表紙 +10枚〜20ページ
  • 名簿 40名(氏名・押印) 表紙 + 4枚〜 8ページ(掲載略)
  • 合計 表紙とも14枚綴り(右辺紙縒り止め2箇所)

※ クリックすると、pdf のページを別ウィンドウに表示します。

『精隆社社則』

『精隆社社則』(口語訳)

※ 原本には「社員人名」のページが付随していますが、ここでは割愛します。

(2) 精隆社 節倹申合規約

精隆社 節倹申合規約 表紙

  • 明治37年3月
  • 1枚の和紙(縦24センチ×横17センチ)両面に毛筆墨書縦書き
  • 本文 第一 〜 第七     表紙 + 3枚〜 5ページ
  • 名簿 63名(氏名・押印) 裏表紙 +6枚〜10ページ(掲載略)
  • 合計 表紙とも10枚綴り(右辺紙縒り止め2箇所)

※ クリックすると、pdf のページを別ウィンドウに表示します。

『節倹申合規約』

『節倹申合規約』(口語訳)

※ 原本には記名・押印したページが付随していますが、ここでは割愛します。

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