今昔の風景 | 昔 | 今 | 今 |
木村の踏切 | |||
新保から見た木村 | |||
公会堂 | |||
お稲荷さま | 昔の写真は不明 |
「下中野・木村の明治時代からの沿革・・・」 | ||
昭和30年発行の今史より参考 (木村町内の大森さん所有) | ||
江戸 時代 |
江戸時代・木村は( 御野郡(みのごおり)木村郷 )と記されています。また、周りには五つの村 に囲まれています (新保村・下中野村・西古松村・東古松村・富田村)。 |
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明治 | 8年 | 木村は 備前国御野郡下中野村 と合併する。 |
11年 | 岡山区が御野郡より派生する。 | |
22年 | 御野郡と津高郡が合併し御津郡となり、岡山区も岡山市となる。 地名(木村)は・「 岡山懸備前御津郡今村大字下中野字木村 」 と称されていました。 |
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26年 | 10月・近年に続いての暴風雨、大洪水にあう。 旭川本支流・笹ケ瀬川沿岸の堤防決壊の 箇所多く、人畜家屋の死傷流出 被害多大で、明治25年と同等見渡す限り、野殿山から 児島の山まで一面の泥海で、水位はおおよそ床上四尺(約120cm)はあろうと云われた。 |
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43年 | 宇野線が開通し蒸気機関車が木村を横切る。また宇野港も開港される。 | |
昭和 | 17年 | 今村、大野、芳田の三青年学校合併して今村小学校の一部に独立の御南青年学校を 設置する。 |
21年 | 12月・昭和南海大地震(M8.0)が岡山県にも襲う。この地震により木村も人災及び家屋 などの災害をもたらした。 |
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22年 | 御南青年学校廃止される。 (今村・芳田・大野・に白石も合流) 四ヶ村組合立の御南中学校を設立、笹ケ瀬川廃川地 を校地とし、昭和23年5月に第一期工事を完了中学校舎落成する。昭和26年全工事完成。 |
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25年 | 蒸気機関車からヂィーゼル車になる。 | |
26年 | 岡山臨港鉄道創業、これまた木村を横切る。(後の臨港グリーンアベニュー) | |
27年 | 第6次隣接村編入にて岡山市になる。 地名は( 岡山県岡山市下中野 )となり現在に至っています。 (「木村」は名残として残り、木村町内会を維持しています。 |
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35年 | 木村から(一部の)最初の芳田小学生生徒が入学する。(今村小学校にも通学中である) 以前より今村と芳田との狭間の関係になる(詳細不明)。 宇野線が電化される。 |
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36年 | 今村小学校・白石小学校・大野小学校の一部で西小学校が開校される。 | |
40年 | 木村からの最後の西小学生徒が卒業する。芳田小学校に移校。 | |
49年 | 2号線バイパス君津以西が供用開始。 | |
59年 | 御南中学校から新設された芳田中学校に移校。 岡山臨海鉄道が廃止となる。 |
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63年 | 瀬戸大橋完成・瀬戸大橋線開通(宇野線も宇野瀬戸大橋線と称される。) | |
平成 | 3年 | 岡山臨海鉄道跡地に臨港グリーンアベニューが完成する。 |
6年 | 下中野・木村を中心とする区画整理が開始される。(宇野線高架・下中野平井線工事共に) | |
10年 | 宇野線高架事業本格的始動。 | |
13年 | 宇野線高架完成。 | |
14年 | グリーンアベニューの新保遊歩橋開通。(下中野平井線と交差するため陸橋を架ける。) | |
15年 | 下中野平井線開通(9月30日午後3時・快晴)・・木村町内を横切る。 | |
18年 | 下中野東古松線開通予定。 | |
19年 | 区画整理完成予定。 |
「 鉄道 (宇野線の沿革) 」 |
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明治 〜 大正 〜 昭和 〜 平成 |
23年 〜 15年 現在 に 至る |
山陽本線は明治23年の春から土地の買い上げにかかり、田植え後工事に取りかかった。多く の工夫人夫は大供・西長瀬に止宿し、近辺からも人夫を求め (当時の一日の日当は十五銭〜 二十銭) 明治24年の春までに築造し、その間に岡山駅も出来て、5月1日に岡山―倉敷間が 開通した。 それからしばらくの後、明治43年に宇野線が完成した。そのころは鹿田駅から木村の桜馬場 を通って芳田村をぬけて行った。 その後、大正14年に新しく大元駅が出来、宇野線は現在の位置に移り、旧路線は廃線となっ た。(芳田連合町内会HPグリーンアベニューのページにも紹介されています。) またその当時、地元の村民は岡山市へ通ずる(道路)便利を思い早速廃線地の譲渡を申請し て村内の道路にしようと木村の萱野吟治氏が中心となって種々努力された。しかし鉄道省から 許可はなかなか来なかった。その数年後昭和8年にやっと旧路線が道路に生まれ変りその両側 に桜の樹が植えられた。そしてその功績として『 記念碑 』が建てられています。 ↑芳田連合の臨港グリーンアベニューのページへリンク その後、桜は春を迎えるたびに美しく咲いて桜馬場と呼ばれる村内の名所になった。しかしこの 地方の例にもれず樹は次第に衰え影を潜めるに至りました。 なお今現在、宇野線は四国とも連絡がとれ宇野線・瀬戸大橋線として生まれ変わり、また近代 的に岡山―西市駅手前まで高架となり、平成15年10月1日には、岡山―東京間・のぞみが1日 35往復と倍以上に増発と同時に、瀬戸大橋線には二階建て車両の新型マリンライナーがデビュ ーし岡山―高松間1日上下計74本運行・約52分で結ぶ、という風に華やかな電車が頻繁に行 き交うようになりました。 |