この里は開拓されて350年。一条の流れは強く弱く、また太く短く変化 した中に私たちの先祖は無名の歴史の力として大地に力強く鍬をふるい鎌をにぎって親から子、子から孫へと歴史を積み重ねて来ました。
 農民として、あの江戸時代の厳しい収奪に耐え、天変地異をくぐりぬけ、幕末 政変、伝染病の恐怖におののき、また肉親を戦いに失い悲しみに耐え、近代化の 波に洗われ今日を迎えました。

 里の風と、里の人情の中に里唄があり、農作業も近代化され作業唄も消え去り 、生活様式も変わり、子供たちの遊びも変わった、だけど唄は心の故郷である。

米倉の夜明


里の行事

正月を迎えるための用意
 正月行事は年中行事の中で最も大切な行事とされてきた、歳神様をお迎えする 準備は12月20日頃から28日の間に行い、歳神様と家族に栗(九里四方に貸 しまわす)で復太箸を削り、煤はらいをし、お餅を搗き、新藁でしめ飾りを作る 、また組み飾りを作り橙(代々子孫繁栄)串柿(財宝を貫く)ほんだわら(豊年俵)山 草(うらじろ夫婦和合)昆布(喜ぶ)をつける、そして常盤木を立て御神酒と鏡餅を 供える。
 お飾りは仏壇、諸神様、門口、裏口、倉物置、かまど、牛小屋、苗代、墓地、 水神と付ける、門松を立てる家は少なかった。


五節句の一つ、正月三が日
 元日はその家の主人または長男は早朝若水を取り、神仏に鏡餅、おせち(四方 を張りたる膳)を供え総灯明をあげて祭る。
 家族そろって梅干しのお茶を飲みお雑煮を祝う、牛馬には団子雑煮を祝わせた 。
祝い込むといって雨戸を開けない。
 元日は掃き出す事を嫌い箒(ホオキ)を使わない。
 丸裸になると、この夜は風呂を立てない。
 二日は書き初めをし注連飾りに吊るし鍬初めをする。
そして朝風呂を立てる。
 雑煮は丸餅で一日は醤油汁、二日は小豆汁、三日は味噌汁をする。
 三が日の内に餅を焼くと危に遭遇すると言ってこれをつつしんだ。


正月礼(1月4日)
 嫁、養子が実家の両親に新年の喜びに訪問する、この時歳暮を持参し子供はこ の時お年玉が実家より渡される、また最初の正月礼は日帰りとしないと凶作にな ると言われていた。


五巻の日(1月5日)
 神仏を拝み、鏡餅をおろし雑煮にする。


七草粥(1月7日)
 春の七草野菜を入れ雑炊を作り、家族で祝う。


やれぼう(1月11日)
 農家の仕事始めであり、牛の正月とも言う、牛に雑煮を与え牛を苗代地迄走ら せ「やれぼう、やれぼう」と叫ぶ、八重穂咲けの意味で五穀豊穣を祈る言葉であ った。


左義長(どんど1月14日)
 悪魔払いの行事の日、注連飾り、書き初めをおろして焼き、その火で鏡餅を焼 き、あと薄く切って神仏に供える。
  ドンドの火に当ると無病息災である。
  ドンドの餅を食べると病気にならない。
  ドンドの灰を座敷回りに撒くと長虫が来ない、と言われた。
 書き初めの灰が高く上がると書の手が上がると言われていた。
また歳神様の組み飾りは焼かないでその年の稲苗を取る時の束結びに使うと豊 作になると言われていた。
 その年に家族の中に祝年の者がいるときは歳神の飾りは小正月までそのままに しておいた。


粥つり(1月15日)
 どんどで焼いた餅でお粥を作りカヤの箸で食べる、熱くても吹くと台風が吹い て家の福にあたる、また早稲、中生、晩稲の三種類の粥を作りカヤの穂を突っ込 み粥の付きぐわいから早、中、晩の豊凶を占い稲の作付け品種を選んだ。
 またお粥を炊く時使った燃え残りの木で子供の出来ない女の人の腰を打つと男 の子が出来ると言われ、子供に棒を作り持たせて果樹、倉、若嫁と何でも叩かせ てその年の豊かさに成ることを期待した。
 この日、柿の木の根本を斧で切りつけ「なるか、ならぬか、ならぬば切るぞ」 「なる、なる」「それじゃ粥をあげよう」と親子、祖父母、孫の対話を楽しんだ 。


つつぼ正月(1月20日)
 唐臼(トオウス)(籾すり)のまわりに付いた米を箒(ホオキ)で掃き出しだんご汁 を作り家族皆で食べる、まずい食事ではあるがとにかく腹いっぱい食べる。


小正月(ヒテエ正月2月1日)
 ヒテエとは一日の意味、これで正月行事も一段落する、明日からの労働を前に 休み、新たに餅を搗き雑煮を食べた。


節分(立春の前日)
 災厄を防ぐための行事で、家の出入り口すべてに鰯(イワシ)の頭を柊(ひいら ぎ)の小枝にさして霊を封じた。
 「となりのババアの尻より臭い」と独り言を言いながら戸口にさせば効果は倍 増するといわれた、その夜豆まきをした。


初牛(2月初めの牛の日)
 近くの神社に参詣し、今年の豊作を田の神に祈る。
 なお初牛が節分から数えて5日以上の年は火事が多いと警戒された。


春の社日(彼岸に最も近い戊の日)
 田の神を祭り、苗代の用意を始める。


彼岸(春分、秋分を中日とし前後7日)
 お墓掃除をし、親類縁故者の墓参りをする。


桃の節句(五節句の一つ、3月3日)
 人形を飾って祝う女の節句で、桃、柳の枝に色菓子を吊るし、白酒、菱餅、お 煎、赤飯を供えて祝った。
 初雛、新婦の来た家は近所の子供を招き「雛荒らし」と言ってもてなした。
4日は家族近隣で花見、舟遊びなどで一日遊び、子供は草雛を作り川に流した 。
新生児が男の子のときは初天神を、女の子のときは初雛を贈るならわしがあっ た。


卯月八日(4月8日)
 釈迦の誕生日でお寺参りをし甘茶を戴いた、この甘茶を持ち帰り墨をすり「ち ゃ」と書いて柱に逆さに貼ると虫除けになると言われた。


端午の節句(五節句の一つ5月5日)
 男の子の節句である、しょうぶ、よもぎ、栴檀を束ねて屋根に載せる「屋根を 葺く」と言い鬼が天から覗いて刀があると勘違いして恐れると言い。また鯉の吹 き流し幟を立て男の子の成長を祈った。
 神仏に菖蒲(ショウブ)を載せた赤飯、柏餅、ちまきを供え家内一同菖蒲酒を飲 み、菖蒲湯に入った、また菖蒲を寝床の下に敷けば無病息災、蚤(ノミ)が出ない と言われた。


籾播き
 苗代の水口に少し土を盛り田の神を祭り山吹の花を飾り白米、お萩団子を供え る、また残りの籾で焼米を作る、一部を雀にやるといって苗代の回りに播く。


六月ひてい(6月1日)
 麦の粉で流し焼きを作り、田の神を始め神仏を祭り、正月を祝直して凶年にな らぬよう神仏に祈った。


わさ植え
 田植えにかかる前、苗代を掃除して苗を少し取り本田に植えそめる、お萩団子 をして神仏を祭る、次の日より本格的な田植えとなる。


代みて
 田植えが終わると苗代を片付け、苗を良く洗った物を神仏にお供えしご馳走を する。
代みてが終わると「足洗い」といって新婦は実家に行って休んだ。


虫追い
 作物の諸害虫を駆除する虫祈祷である、虫害は悪霊のしわざと考えられていた 。
 毎年土用に入って五日以内にこれを行う、この日は僧侶を招きお堂で読経の後 、僧を先導して鐘、太鼓を鳴らして、笹に御幣を付け振りながら「稲の虫インデ クレ」と叫んで回り、終わると甘酒や菓子の振舞いがあった。


七夕(五節句の一つ、7月7日)
 星祭りの日である、6日早朝、お盆で稲の葉の露を取り墨をすり、五色の短冊 に詩歌、願い事を書、竹笹に付けて庭先に高く立て、棚を作り萩団子などを供え 胡瓜の馬、茄子の牛をこしらえて載せた、手早く器用を祈るのであった。
 7日は笹を川に流すか稲田に立てた、この日は「七度ご飯を食べてもよい」「 七度着物を着換える」「七度水浴する」などと言われていた。
 またこの日は水で洗うと良く汚れが落ちると言われ女の人は髪を洗った。
 また七月はお盆月であるのでそれに関係する七日の行事も大切であった。
 男はお墓掃除、道掃除など先祖様の来訪を待ち受ける準備をし、女は煤払い、 仏具、仏壇を始め神棚、家の内外を掃除した、この日から灯篭を軒に吊るし夜は 点灯し水棚様を設けた。 親戚、近隣に初盆があれば「お供」を子供に持参させた。
 なお軒先の灯篭は7月一杯ともし月末に赤飯、お萩団子を作り川辺に水棚を持 参して仏送りをした、「遠方をご苦労様でした、来年もお早くおいでください」 と。


ぼに(7月13日〜15日)
 逆さずりの苦を受けた死者の苦を免れさせるため三宝に供養することから始ま った、先祖の霊の祭りである。
 各家、戸口を入った所から良く見える部屋の正面に棚を作り位牌仏具を出して 祭る、13日正午より「お着きの水」から始まって三日間朝昼夜の食事を各家ご とに献立、土器の上に蓮または豆の葉を敷き供える、ご飯は半球形の御霊供とし オガラか溝萩の箸を立てる。
 15日の晩はお萩の送り団子を作り輪灯を吊るし線香を焚く、なお先祖の霊と 一緒に来訪した無縁仏、餓鬼(ガキ)に棚の一隅に先祖と同じ献立で供え先祖の霊 の食事の邪魔をしないようにする。
 三日間は近親、家族等夕方墓参りをし灯篭をとぼし肥松を焚いて供養する、ま た庭で迎え火、送り火に肥松を焚き水棚を祭る。
 15日の精霊送りの舟は、真こも(マコモ)で作り夜半正子の刻に潮の引きにな る時、肥松の灯火で読経の中児島湾に送った。
 この夜は子供たちも精霊送りの夜半まで外で遊ぶ事が許され、トランプ、きも だめしなどをして過ごした。


盆礼(7月16日)
 盆月の正式訪問で実家に親を訪ねる、親の他界している者は15日に供養を兼 ねて訪問する。
 この日の海漁(ウミリョウ)は「仏が近海にいる」「餓鬼がさばる」と言って休 んだ、また子供たちも水泳をしなかった。


八朔(8月1日)
 八朔団子を作り、稲の出穂をひかえ台風大雨の難が無いよう祈った。
 この日を境として昼寝の習慣をやめ、夜なべを始める。


社日(秋分に最も近い戊の日)
 地神を祭り秋の収穫のお礼をする、この日は土を掘ってはならない。


秋の彼岸
 春に準じて行う。


月見(8月15日)
 栗、新芋等丸い物を供えて月を祈る。
 この日は子供たちが他家の丸い成り物を取る事が黙認されていた。


栗節句(9月9日)
 栗入の赤飯を作り神仏を祭った。


氏神祭
 春、秋二回あり、春は農耕開始祭で、秋は収穫祭で特に秋は収穫に感謝し氏神 、各家で感謝祭が行われた、晴れ着で氏神様にお参りをし、親戚を招きご馳走を し、若者衆は額屋を建て大額提灯を飾り、夜は提灯に火を入れその下に獅子を飾 った。
 山車を引き回し、沿道には子供の小額を建て、若者衆は徹夜で額屋の番をして 語り合った。
 秋祭りの太鼓の音を聞いて、いよいよ収穫に入る物心の準備をした。


亥の子(10月中亥の日)
 田の神様が春二月初、亥の日に山を降りて来て秋の仕事が終り山に帰って行く 日がこの日である。
 田の神への感謝のお祭りである、また一説には無病と子孫繁栄を祈る祭りとも いう。
 子供達が集まって藁(ワラ)を束ねた藁鉄砲や石亥の子で地面を叩きながら「今 夜の亥の子祝わんは鬼生め、蛇生め、角の生えた子を生め」「亥の子餅くれんさ 、くれん屋のかかは、鬼生め蛇生め角の生えた子を生め」と叫びながら各家を回 る、子供たちに亥の餅団子を振舞う。  藁鉄砲はあと柿木に掛けておくと実が良くなると言われていた。
 その夜は休み亥の子餅団子を作り神仏を祭り、風呂ふき大根を作って食べた。
 またこの日は田の神の代わりと言われた案山子をしまった。


紐落し(七五三、10月15日)
 三才になった幼児が紐の付いた一つ身の着物を脱ぎ、新しい三つ身、四つ身の 着物に帯を占めて氏神様にお参りをする、この神参りをして初めて神からも社会 からも認められ祝福を受ける、母親と祖母が連れて参った。


冬至
 冬至の神を祭る、この日南爪を食べると中風にならないと言われた、この夜は 柚湯に入った。


大晦日
 この夜、お餅、煮しめ等を神仏に供え総灯明を上げオセチで家族一同揃って晩 食年越しを祝う、この夜を除夜といって不眠で娯楽を楽しみ又氏神の境内に斎燈 を焚き夜を明かす。

この「里のおもかげ」は田中一夫先生の里のおもかげを参考に幼年期、少年期の記憶から生まれたものです。