米倉博物館


展示NO-N51 「川舟」

 道路は「牛追い道」と言って、牛と人がやっと通れた、しかし、水路は発達しており運搬手段は川舟に依存していた。
 人を運び、農具を運び、稲や籾を、そして藺草を運んだ。「まこも」の茂る水路を川舟がすいすいと進む田園風景は絵になった。
 時に、四手網魚、うなぎかき魚、投げ網魚、しじみかき、ゆぐえ魚と川舟は漁舟に変身した、舟底を「こい」や「ふな」が跳ねていた。

ゆぐえ魚
 竹で編んだ大きな鳥かごの様な物で、入口を一箇所設け、そこに団扇の格好をした扉を付け進入する事は出来ても出る事は出来ない構造の手作りの漁具である、「じゃがいも」とか「麦」の煮込みを餌に川岸の「マコモ」の間に沈めておき、朝夕引上げて漁獲する。
 獲物は、「こい」、「ふな」の類であったが、時に大きな「なまず」なども入っていた。 

マコモ
 イネ科の多年草で、地中の根茎は太く横にのびる、茎は中空で、葉は幅2〜3p、長さ50〜100pの線形をしている。
 茎の先に花穂を出し、丈夫に雌小穂、下部に雄小穂をつける、雌小穂に長いのぎが出る。
 茎に黒穂菌が寄生して肥大したものを、中国料理では食用とする。
 
生育地は、沼地、溝中に生える多年草。
 
開花期は、夏から秋にかけて大形の円錐花序を出し、やや密に分枝して、多数の単性の小穂をつける。
 マコモの茂る貴重な風景が「わがまちの歴史・下巻」の「今日の米倉」ページで紹介されています。

舟遊さん(ふなゆうさん)
 水緩む4月中旬、川舟に「むしろ」を敷き、女舟・男舟と数隻に分乗し、お花見弁当を持って川辺で一日を楽しんだ。
 親御さんは乗らず、トランプ、かるた、のらくろマンガと船上は子供たちだけの世界であった。
 水辺にはペットボトルもハッポースチロールも無く、澄みきった水の流れと子供たちの笑い声や歓声があった。