季節のたより
2008



前略 西市天満宮の秋祭り
 黄金色の稲穂が真っ青な空に映える、垂れた稲穂が収穫を待つ、日本の秋。
 祭りは、春秋の2度行われ、稲作の初めと終わりに豊作を祈り、感謝を捧げる。
 拝殿に御神灯が吊るされ、各町内には天満宮の幟を立て、境内近くの道には子供たちが書いた絵や習字の額堤灯が並べられ、境内では子ども会の夜店が並び秋の夕暮を楽しむ。
 そして翌日は、黄金色に実った稲田を子供みこしが渡る。
                                             早々
                                             平成20年10月19日
追伸
 
秋の野を渡る子供みこしの画像を会員ページ「トピックス」で紹介しています。
 ここに記録にとどめ、この子たちが成長し、いつの日か良き故郷を思い出してほしいと願います。

祭り
 祭りは「月」と「又」、それに「示」からなる。
 月は夜空の月ではなく肉を表わすにくづき、又は手を表わす。そして示はテーブルの形だそうだ。
 だから祭りは神へのささげものを載せるテーブルの上にお供えの肉を手で置き、神へのお祭りをする意味になる。
 「祭」は神と人が接する場所だ。収穫に感謝する秋祭りが味わい深い。
 食べ物が天の恵みであることは昔も今も変わらない。食べ物を口にする時、自然に対する感謝の念を忘れてはならない。
                 2008年10月17日 山陽新聞「敵一敵」より




前略 第24回芳明地区敬老の集い
 芳明地区75歳以上の方が639名いらっしゃいます。そして、100歳以上の方が3名いらっしゃいます。
当日は143名の方がお元気に出席されました。
 記念式典に続いて幼稚園児による遊戯、小学生によるプレゼント、中学生の吹奏楽演奏、午後の部で地域の方々の演芸を楽しみ、炭坑節の総踊りで和やかな一日を楽しみました。
                                               早々
                                              平成20年10月4日
祝辞
 
おはようございます。
 本日、ここに平成二十年度「芳明学区敬老会」の開催にあたり、ひと言ごあさつを申し上げます。

 本日のこの敬老会に大勢の皆様方がお元気でご出席いただいておりますことは、誠に喜ばしい限りでございます。

 ご承知のように、岡山市は、戦災という大きな痛手を負いながら、その後、力強い復興を遂げ、現在では、人口七十万人にのぼる、新市となるなど大きな発展を遂げてまいりました。
 これもひとえに、激動の時代をたくましく乗り越え、社会やご家族のために一生懸命に生きてこられた皆様方のお力のおかげと深く敬意と感謝の意を表する次第でございます。

 本市は、来年四月の「政令指定都市・岡山」の実現をめざし、全力で取り組むとともに、「水と緑が魅せる心豊かな庭園都市」と「中四国をつなぐ総合福祉の拠点都市」を将来像とする都市ビジョンに沿って、住みやすく活力のあるまちづくりを進めております。
 そして、皆様方が住み慣れた地域社会の中で、元気に生きがいのある生活を送っていただくことができますよう、これからも幅広い分野で様々な施策を展開してまいります。
 皆様におかれましては、いつまでもお元気で積極的な社会参加をいただき、安全で安心して暮らせる地域づくりや、これからの本市を担う「人づくり」において、より一層のお力添えを賜りますようお願い申し上げます。

 また、本日は一日ごゆっくりと楽しんでいただきますとともに、これからの毎日が、より明るく健やかで豊かなものとなりますよう、心からお祈り申し上げます。
 最後になりましたが、開催にあたりご尽力くださいました関係者の方々に厚く御礼申し上げ、ごあいさつとさせていただきます。


                                           平成二十年十月四日
                                           岡山市長 高谷茂男

追伸
 会員ページ「トピックス」にお元気な姿を紹介しています。




前略 遷座祭(せんざさい)
 朝夕かすかな涼風に忍び寄る秋の気配を感じます。
 猛暑を耐え忍んだ今年の夏でした、そよ吹く風にようやく生気を取り戻します。
 さて、当地には、地域の守り神様として米倉公会堂のすぐ北側に木野山様が祀られています。
 主な祭神は、大山祇(おおやまつみ)命、豊玉彦(とよたまひこ)命、大己貴(おおなむち)命です。
 木野山神社については、つぎのような話しが伝わっています。
 明治10年前後に、米倉村はじめ周辺の村村が疫病(伝染病)で苦しんだことがありました。
 高梁市津川町大字今津に鎮座する木野山神社が、疫病に霊験あらたかなことを聞き、村の代表が木野山神社に参拝して、その分霊を米倉にお迎えしてお祀りをしました。
 最初は、現在地より川を隔てた東にお祀りをしていたそうですが、後に今の場所にお移ししたのだそうです。
 安政5年(1858年)に全国で大流行し、死者の数は30〜40万人にも上ったといわれます。
 岡山では藩士が33人町人が166人亡くなったとの記録がありますので分霊勧請はこの時代ではなかったかと想像されます。
 明治になってからもコレラは猛威をふるい、明治10年(1877年)、明治12年、明治35年と大流行しました。この時も木野山神社の御輿(みこし)をこしらえて、米倉から当新田の七番・六番を通り三軒屋あたりまで練り歩いたそうです。これを機にさすがの猛威をふるったコレラも終わりを告げたと伝えられています。
 この度、お社の台座を含め改修を行うこととなりました、改修に先立ち9月15日午後7時から神官を招き、ご神体の「遷座祭」が執り行なわれました。
 改修工事の期間、ご神体を西市天満宮にお遷しする行事です。
 古式ですが、大変珍しい儀式ですのでご紹介します。
 「遷座」とは、神仏の座を他に移すことをいいます。通常、遷座は夜間に行われるのだそうです。
 米倉木野山様の遷座祭も日暮れを待って開始されました。
 その日はあいにく小雨で、神事の後、白木箱に厳重に納められたご神体は白布に包まれ、独特のマスクと白手袋を付けた神官に抱かれ、米倉講中の先導を受けながら、雨の中を西市天満宮に向われました。
 西市天満宮の神殿は既に真っ暗闇で、ほのかな燈火の下、 厳粛なムードが高まる中で、宮入・お祓い等々一連の神事が粛々と進められ遷座祭は無事終了しました。

 約1ヶ月後に、お社の改修が終わり次第、再びご神体をお迎えする「遷座祭」が行われます。
                                               早々
                                              平成20年9月18日
                                               米倉木野山様講中
追伸
 改修工事完了の後に「後世への記録・総務篇」にその記録を留めます。
 これからも地域の守り神様として伝統を守り、行事が引き継がれて行くことを願ってやみません。

遷座祭神事(米倉木野山神社)
 1、修秡
 1、斎主一拝
 1、献饌
 1、合祀神社動座奏上詞
 1、開扉
 1、遷座の儀
 1、清秡の儀
 1、撤饌
 1、斎主一拝

 合祀の儀(西市天満宮)
  1、修秡
  1、合祀先神社奏上詞
  1、開扉
  1、合祀の儀
  1、献饌
  1、合祀鎮座奏上詞
  1、玉串奉奠
  1、撤饌




前略 体育大会
 未だ夏の陽射しが残る秋の一日、芳明学区体育大会が開催されました。
 地域の声援を受けて30競技が行われ、日頃の運動不足の解消と地域の絆を深めました。
 中で、中学校の生徒さん達が前日の会場準備、そして当日の競技運営に携わる姿に心なごみました。
                                               早々
                                              平成20年9月15日
追伸
 
会員ページ「トピックス」に競技熱戦の画像を紹介しています。




前略 ワケギの話
 一雨ごとに秋の気配が深まり、冬物野菜の植え付けシーズンになりました。
 夏草を刈り取り、堆肥を施し種まきの準備です。

 ところで、当地に伝わる「ワケギ」のお話です。
 ワケギの種は植え残っても決して他人様に差し上げてはならない。
 譲る時は、道端に捨てなさい、そして、それを拾って持ち帰っていただきなさい。
 もしも、これを怠ると本家が衰退する・と。

 「ワケギ」はネギの変種と思われますが、実は分蘖性のネギと分球性のタマネギの雑種です。
 韓国では、ワケギは頭髪を増やすとして珍重されています。
                                               早々
                                              平成20年9月15日




前略 百日紅
 夏を彩る百日紅の花が燃えています。

 朝鮮半島に、百日紅にまつわる王子と娘の悲恋伝説があります。
 ある村に生娘を毎年、竜神の生贄にする習慣がありました。
 国王の命令で旅の途中の王子がこの話を聞き、まさに娘が海に投げ込まれる寸前、竜神を退治しました。
 二人は激しい恋におちいりましたが、王子は旅を続けなければならず百日後の再会を約束して他国へ旅立ちました。
 百日後の朝、王子は娘の家を訪ねましたが彼女はこの世にいませんでした。
 村人は娘を埋めた墓に二本の若木を植えました。
 一本には紅い花が、もう一本には白い花が百日も咲き続けました。
 花は娘のせつない恋の化身であろうと「百日紅」の名をつけたといわれます。

                                               早々
                                              平成20年9月1日




前略 夏の日の思い出 2008
 今年の夏は猛暑続きです、強い夏の陽射しが西に傾き夕暮の露天に灯りが入り、紅白の提灯が夜風に揺れる頃、芳明小学校グラウンドで「ふれあいの夕べ」が行なわれました。 夏の夕暮れの一時を老いも若きも集い、夕べの涼を楽しみました。
 地域の各種団体が協力し、地域の者同士が知り合い、親しみを深める行事、子どもたちも様々な経験と友情を深める行事、今年も夏の思い出が一つ出来ました。
                                               早々
                                              平成20年8月9日
追伸
 
会員ページ「トピックス」に楽しい思い出の画像を紹介しています。




前略 盛夏
 連日34度を超える猛暑、熱帯夜が続く。
 ついに岡山は38度を記録した。
 セミの声が夏空に響き渡る。
 子どもたちは夏休み、今日も元気な姿がある。

 夏休み
  輝く太陽
  元気に笑うひまわり
  青い海と青い空
  みんな元気で、嫌なことなんか忘れよう

                                               早々
                                              平成20年7月30日




前略 ホットな話題
 米倉子ども会が岡山市教育委員会から表彰状をいただきました。
 過ぎし日、子ども会活動に参加していた子供たちが今は父となり母となって地域活動に中心となって参加し、子どもたちの育成に活躍されている姿に感銘します。
 この度、長年にわたるその努力が認められ表彰を受けたことは地域にとって喜ばしいことです。
 これからも活発な活動を続け、元気な子どもたちの活躍に期待します。
                                               早々
                                              平成20年7月23日





前略 涼しさをもとめて
 うちわ・すいか・線香花火・打ち上げ花火・風鈴・金魚・蚊取り線香・盆踊り・ゆかた。
 昔から、これらによって暑い日本の夏をなんとか涼しくやり過ごしてきました。
 夏の「涼しさをとる」日本の伝統的文化です。

 この夏を涼しく過ごしたいものです。
                                                  早々
                                                  平成20年7月
22日




前略 水の季節
 この地域にも水騒動の歴史が残る。
 水の状況によって収獲が左右されることから開拓地の農民にとって水は最も重要なものの一つでした。
 その証として、町内を流れる用水路には多くの樋門が残り今も厳重に管理されています。
 今年度から、用水管理組合を作り担当者は昼夜を問わぬ水利の管理に当たっています。
 最近では、水の流れも変わり水質も改善されてきました。
 水の浄化に努め不法投棄のない川の流れで夏を涼しく過ごしたいものです。
                                                  早々
                                                  平成20年7月7



愛する人を愛するように、地域を地球を愛することが出来たとき、
母なる大地「地球」は私たちに更なるすばらしい夢を見せてくれるのではないでしょうか。
 美しい地域、美しい地球、地球の明日は私たちの明日です。




前略 6年目の春を迎えて
  岡山市モデル電子町内会に参加して「米倉電子町内会のホームページ」を立ち上げたのは平成14年3月26日でした。
 あれから6年が経過しました。当初は7町内会が参加し情報インフラも一般的にはダイアルアップ回線の時代でした。
 当初の発想であった電子町内会の構想は、高齢化の進む当地域に定着するには今少し時間を要すると判断し3ヶ月で挫折しました。
 当面は「米倉町内会のホームページ」として、古き良きものを伝え、今を語り「後世への記録」として構築してまいりました。
 情報インフラも進み、時の流れとして「電子町内会」の時代もそう遠くないと確信します。
 当初、全国の町内会・自治会で先行されているページの中から参考となるサイトを「リンク集」として掲載しました。
 しかし、現在ではその三分の一が消えています、町内会サイトの継続性の難しさを痛感します。
 「継続は力なり」課題も多い中で多くの方々に親しまれ愛されるページを目指して成長して行きたいものです。
 米倉電子町内会のページものウェーブ検索に於いて10番以内の位置を12か月間連続キープするサイトになりました。
 町内皆さんのご支援に感謝すると共に今後もご指示ご指導をよろしくお願いします。
                                               早々
                                              平成20年3月26日
                                              米倉電子町内会編集委員会




前略 米倉路の早春賦
 三月に入り、各地から春の訪れを告げる便りが寄せられる。しかし、この季節は「三寒四温」という言葉があるとおり、暖かい日が数日続き、ようやく冬が終わったなと思っていると急に寒さが戻ってくる。
 小学唱歌「早春賦」にある「春は名のみの風の寒さよ」を体感させられる。
 米倉路も民家の庭先に咲き誇る白梅や紅梅を楽しませてくれる、旧家の庭には盆栽を大きくしたような見事な枝ぶりの古木が何本もある。
 今年の冬は寒さが厳しく、古木も「寄る歳波には勝てず」と心配していたが、三月に入ると蕾がどんどんと膨らみ例年通り見事な花を付けた。
 庭先で馥郁たる香りを放つ梅の花、そして、水仙は早春の息吹を楽しませてくれる。
                                                  早々
                                                  平成20年3月15



前略 春を呼ぶ
 頬をなでる風はまだまだひんやりと感じる。しかし、先日までの厳しい寒さと違って空気に幾分かの温もりがある。
 土手沿いの道は一面薄茶色の冬枯れの風景が広がる。しかし、雑草が伸び始めて緑の部分が見える。
 桜のつぼみを見るとまだ小さいけれど固い新芽が膨らみ始めている。
 三寒四温。これから先しばらくは寒暖の日々が続くだろう、しかし春はもうそこまで近付き米倉の郷もだんだん春の装いを整えている。
                                                  早々
                                                  平成20年2月22



前略 春の萌し
 節分祭の夜、「豆撒き」をする。
 このまくは、鬼を追い出すのに豆を撒き、同時にこの一年の良い種を蒔いて五穀豊穣を祈る。
 豆撒きが無事に終わると「立春」新しい年の始まりである。
                                                  早々
                                                  平成20年2月
5日




前略 なごり雪
 降る雪も良し、消えゆく雪も良し。
 人影もまばらな園内、木陰の残雪を踏みしめて歩む。
 冬の冷たい風が頬を打つ。静かな時が流れる。
                                                  早々
                                                  平成20年1月
22日



前略 雪の朝
 夕べから降っていた雪は、今朝起きてみると綿をかぶせたように一面を覆っていた。
 デジカメを持って庭に立ってみると冬の風情が感じられる、庭の木々が枝を伸ばし淡雪を抱いて白い花をつけているようだ。
 1月の里雪は珍しい、元気のいい子供たちが楽しそうに通り過ぎて行く、静かな時間が流れ東の空の雲が切れ朝日が射してくる。
 静けさを破って白い雪が音をたてて地面に落ちる。
 降る雪には七つの雪があると言う、こな雪・つぶ雪・わた雪・ざらめ雪・みず雪・かた雪・こおり雪、今朝の雪は何雪だろうか。
                                                   早々
                                                  平成20年1月
21日



前略 新春
 新しい年が明けた、米倉電子町内会も6年目の春を迎えた。
 時に、振り返れば様々な地域の思いが刻まれて行く。
 テレビを見ていたら、ある人が言っていた。
 「60を過ぎたら、今年はいい年にしようなどとは思わなくなった、明日いい日にしようと思うようになった」
 この言葉には何故か感銘を受けた、そうか、明日がいい日でありますようにか。
 でも、明日の積み重ねが一年である。
 町内皆様にとって、明日がいい日でありますように・・・・・・
                                                 早々
                                            平成20年1月

2008年・わが町の初日の出