2016
都市ガスがやってきた
田園地帯時代、家庭燃料は、藁(わら)・薪(まき)であった、その後、灯油、プロパンガス、そして電化と進み家庭生活は大きく変わった。
この道も平成14年に下水管工事が行われ排水の処理が改善された。
都市化が進み、米倉西部地域に「都市ガス」の配管工事が行われた。
この道も水道管、下水管、排水溝、そして都市ガス管が並ぶ、日頃は目に映らないが地域の資産である
芳明学区防災訓練の実施
10月21日午後2時7分頃、鳥取県中部を震源とする地震があり、鳥取県中部で震度6弱、岡山市でも震度4を観測しました。
幸い当地方に於いては被害は出なかったが、震源地に於いては多大の災害が発生しました。
また、平成23年9月2日には台風12号が岡山市南部を直撃し、豪雨により笹が瀬川の水位が危険水位に達し、町内の道路が冠水、多くの住宅が床下浸水の被害を受けました。
日本では関東大震災のあった9月1日を防災の日と定め、国を挙げての防災訓練が行われています。
日頃から、災害発生時に欠かせない知識や判断力を一層高め、地域での防災教育と防災ヘリ取り組みの充実に努めることを目的に、芳明学区でも11月3日、小学校体育館において芳明学区連合町内会、岡山市立芳田公民館の主催で、岡山南消防署、芳田消防分団の協力を得て「第4回消防訓練」が実施されました。
「心肺蘇生救急訓練」「消火器を使った消火訓練」「起電車での地震体験」「防水土のう作り体験」など子供や地域の方々200名が参加して実施されました。
田植えの季節を前に川掃除
米倉を流れる川も、どこの川もそうであるように草や藻が生い茂り水の自然の流れを遮っているようにも思われます。
昔、私たちの親しんだ川とは様変わりしてしまいました。
米倉の川は笹が瀬川に流れ、児島湖を経て瀬戸内海に出る、海は一つにつながっています。
一つの川をきれいにすることは、海を、地球を、自分をもきれいに浄化することにつながっているのではないだろうか。
川の流れが本来の流れに戻るように、川は私たちの生活の源であったように、子供たちの遊び場であったように、遊べる親しめる川の姿を取り戻したいものです。
そんな思いで今年も田植えを前に恒例の川掃除が行われた。
子供たちも大勢参加し米倉町内の明日への明るさを感じさせ、そして女性方の明るい会話が漂いました。
語るに。
この地は農村地帯で、稲作には水は欠かせなく、水の状況によって収穫が左右され、水は重要な資源でした。
旭川の水を西川に引き、枝川水系は一帯を潤し、備前の灌漑用水を潤してきました。
この用水は生活用水として、また農業用水として水神様を奉り大切に守ってきました。
米倉の地は、下流に位置し下流農民として水道もない時代「上流のものには、牛にも頭を下げろ」と言われ生活用水、農業用水の確保は重要な事業でした。
今も、この時期下流各地域の町内から代表が上流河川の清掃に当たります、今日も2名が参加しました。
今では下水道も進み水の流れが変わりました、しかし、哀しい事に川の中に空き缶等の不法投棄が眼だちます。
きれいな川の流れでこの夏も涼しく。
火の見櫓(半鐘場)の撤去
建設されたのは定かでないが昭和の初期と推測される、火の見櫓の上には半鐘が設けられた。
下記画像右が当初の櫓で後に公会堂移設に伴い火の見櫓も移設された。
火災の早期発見、消防団の招集、町内への警鐘の発信などに使われていた見張台である。
昭和14年以降、消防団は警報団になり、空襲警報も鳴らすようになる。
警戒警報 ○ ○-○-○ ○ ○-○-○ ○ ○−○-○ ○ ○−○-○
空襲警報 ○ ○-○-○-○-○ ○ ○-○-○-○-○ ○ ○-○-○-○-○ ○ ○-○-○-○-○
戦時中、ラジオの警報発令に伴い、警報団長は火の見櫓に昇り田圃で働いている農家の人たちに警報を知らせた。
戦後は警報団が廃止され、昭和22年の消防団令により芳田消防米倉分団が組織され米倉火の見櫓は守られてきた。
役目を終えた火の見櫓は、普段は誰からも頼みにされず、ただ、この地の豊富な物語を秘めたままここにあった。
今も静かにその下で繰り広げられた人々の営みを見守っていた。
しかし、今は櫓の上には人は昇らず、鐘も打たれることもない。
そして、火の見櫓自体の老衰化も進み、遂に撤去されることとなった。
常慶寺門前にて | 笹が瀬川・宇野線鉄橋にて | |
火の見櫓から見た米倉風景 | ||
火の見櫓から見た米倉風景 | ||
火の見櫓から見た米倉風景 | ||
今年も見事に咲いた
昭和22年4月に岡山県御津郡大野村、今村、白石村、芳田村組合立御南中学校を設立し初代校長に常光正雄校長を迎えた。
そして昭和27年に岡山市立御南中学校に改称された。
当時、芳田村大字米倉の子供たちは御南中学校の広い校庭で学び遊んだ。
平成9年4月に創立50周年を記念して記念式典が開催され桜の木を植樹した。
その後、昭和60年に岡山市立芳田中学校が設立され、今では他校となってしまったが思いで深い人も多い。
50周年記念植樹 | ||
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第25回芳田公民館文化祭開催
3月5日・6日と芳田公民館で文化祭が開催され米倉町内からも多数の方が作品参加されました。
会場では、展示の部で、華道クラブ、手芸・手編みクラブ、四季フォトクラブ、パッチワーククラブ、絵画クラブ、陶芸クラブ、絵手紙クラブ、押花クラブ等15のクラブの日常努力作品が展示され。
そして、発表の部では、カラオケクラブ、フォークダンスクラブ、日本舞踊クラブ、ホッとスマイルダンスクラブ、コーラスクラブ等20の会の演出で会場を盛り上げました。
また、会場では、手作りパン、たこ焼、うどん、桜餅と子供からお年寄りまで楽しい一時の文化祭でした。
芳田公民館文化祭 | 草月流 |
パッチワーク | 陶芸クラブ |
池坊 | 書道 |
押し花クラブ | 絵手紙クラブ |
申(猿)年にまつわる・ことわざ
猿が佛を笑う (さるがほとけをわらう)
小ざかしい者が知恵のある人の本当の偉さがわからずに、嘲笑すること。
猿に烏帽子 (さるにえぼし)
猿に烏帽子をかぶせたような、柄にもない言動のこと。
猿の尻笑い (さるのしりわらい)
自分のことは省みずに、人のいたらなぬことをあざ笑いすること。
猿の空虱 (さるのそらじらみ)
いかにも用がありそうにみせかけながら、なにもしないこと。
猿も木から落ちる (さるもきからおちる)
その道に長けた人でも、時により失敗することがあること。
木から落ちた猿 (きからおちたさる)
頼みにするところ、よりどころを失い、どうしたらいいかわからない状態。
猿の水練、魚の木登り (さるのすいれん、さかなのきのぼり)
見当違い、的外れのことをすること。
米倉港の新春