第6巻(2007年度版)
地域にはそれぞれ風土、風景、風習、風俗、風格、風味、風情という7つの「風」があると思う。
そんな「風」を見つめてみたい。
変わった故郷

変わらぬ故郷


  忘れがたき故郷である。





休刊によせて
 「故郷の風景」も故郷の「風」を求め:て掲載を続け第6巻になりました。
 第6巻を持ってしばらく休刊させて致きます、長らくご愛読ありがとうございました。
 私たちの先祖が汗と愛の力で育てられた郷土の思いを「風」の中から見つめ、美しい自然環境を守り伝えて欲しいとの思いから編集にあたりました。
 文章も編集も至って軽いタッチとなりましたが、この編集を心がけ「残さなければ」と考えた愛郷の気持ちを汲み取っていただければと思います。
 時の流れと共に変わり行く故郷、変わりがたき心の故郷。
 過ぎし日、わたしたちの”ふるさと米倉”がさらに発展することを祈り、新しい風の中から続刊が誕生することを期待し休刊とします。
 今日も水は流れる・・・・・・・・・・
                                2007年12月2日
                                米倉電子町内会編集委員会




2007年11月
 日は沈み、また日は昇る。




袖振り草
 笹が瀬川が夕日に輝きススキが風に揺れている、まさに秋らしい風情を感じさせる。
 ススキはその美しい姿からさまざまな異名がある。
 「袖振り草」や「尾花」とも。




前略 季節は夏から秋へ
 今年の夏は暑かった、今もさるすべりが咲き柿の実が枝を垂れ夏と秋が混在している。
 秋の取り入れも終わり、農家の庭先から籾すり機の音が響く。
 すくもをくいす煙が立ち上がり秋の色を濃くしている。
 その風景は、猛暑から一気に晩秋がやってきた感がする。




秋風の里(柿木のある風景)
 移り行く空は澄み渡り、はてしなく浮かぶ雲、季節は秋。
 新鮮な空気を胸いっぱいに・・・・・・・・・
 農家の庭先に、そして畦道に柿の実が光を受けて輝き、夕暮れの背景に浮かんでいる、まさに実りの秋を実感する。
 日本の秋の風景として「柿の木」のある風景はとてもよく似合う。農家の広い庭にある柿の木にたくさん実をつけている姿は絵にも写真の題材にもなる。
 まだ家の周りには夏の名残がいっぱいだ、朝顔もまだ咲いている、ランタナも大きな花を広げている。
 金木犀が花の芽をつけだした、その金木犀に朝顔のつるがしがみついている。
 草むらに足を踏み入れる。虫の声がやんだ。止まると鳴きだす。また歩くと声がやむ。

 柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺  子規
 子規が奈良の法隆寺を訪れ、境内の茶店で休んでいたところ、御所柿が盆に盛られて出された。この時の情景を歌った。




初夏の詩
 古い歴史と文化を持つ吉備の国、中国山地と瀬戸内海の中間にあり瀬戸内の海が四季おりおりの風景を醸す。
 瀬戸の海は、海底の変化に伴い潮流が複雑で、生息する魚介類の種類も多い。
 丘陵部は、山あり、山田、谷川、ため池ありで、自然との親しみが深い。
 魚貝の豊富な瀬戸内の海と島々、肥沃な土地と丘陵を抱えた南部平野、なだらかな起伏の吉備高原、緑深い中国山地と、その風土の多様さが岡山の特色と言える。
 南部平野は、耕地整備が早くから進み、水田が拓かれた、、気候が温暖なため果樹や穀物、野菜が豊富である。
 とくに、干拓地は米の多収穫地帯で、裏作に麦をつくり、今も麦秋の風景が点在し初夏の風にゆれている。
 水田に畑作が加わり、いちご、なす、ネギ、トマトなどのハウス風景が点在する。
 この時期、屋敷のまわりでは、富有柿、とうがき(いちじく)、すもも、いしらめ(ゆすら)、びいびい(ぐいび)、びわ、うめの木が初夏の陽射しを受けて実を膨らませている。
 子供のころ、近所の”ゆすら”をおやつに食べていた、そして、あの”びいびい(ぐいび)”の甘くて口いっぱいに広がる渋みが遠い日を懐かしく思う初夏である。
 近くの菜園では、きうり、なす、すいか、とまと、なんきん、金うり、そして川岸の紫陽花が、この花の咲く頃は梅雨に入る。

甘く渋みが口いっぱいに広がる、幼い日の味グイビ
美しく濃い緑の葉、黄色い花を付ける柿 初夏の陽射しを受け、実を膨らます桃
ユニークな赤花ひょうたん木(ぼく)実は食べれません 青葉の枝の下に鮮やかな赤・グイビ
ひよ鳥が狙う庭先のユスラ 今は忘れられたトゲヌキの木の花実
木漏れ日の下で、ふくらむスモモ 収穫を待つ長川用水の梅
大きな葉をいっぱいに広げるイチジク 袋の中で少しずつ色づくビワ
田植えも近い、苗代で日増しに生育する早苗 入梅を待つ藤田用水の紫陽花



春の音連れ
 今年の冬は川一面に張る氷を見ることもなかった、春の訪れも早い。
 春は、木の芽の「芽生え」から始まる。
 枝の先に小さな芽を出した時を「芽ぐむ」、その芽が大きくなった状態を「芽だつ」、やがて息吹を感じるように「芽吹く」、そして、ほころび、見事な花を咲かせる。
 雑草も時を得たとばかりに、一気に伸び花を付け草原と化している。
 日差しを受けて若葉の伸びる早さには例年驚かされるが、今年は特に早く感じる。草も木の芽もぐんぐん伸びた。
 笹ヶ瀬川のほとりに古木がある。若木のころは地域の「貴婦人」だった。
 黄緑色の芽を吹く春、緑の深まる夏、黄葉の秋、落葉の冬。
 吹く風に柔らかくなびき、夕日に美しいシルエットを見せる。
 今年の櫻は、早く咲き始め、早足で駆け去って行く、何やらもの悲しく、哀れささえ感じる。
 堤防の櫻が美しく咲いた。その下を車が満開の空気を切り裂くように通り抜ける。
 突然一陣の風が起きてドット花びらが舞い目の前が真っ白になった、一瞬の情景である。
 人はいい景色に出会うと、それにふさわしい風を期待する。
 竹林で揺れる光の反射、川面を覆う葦の葉擦れの音など・・・・




春を待つ
 風も止んでよい天気だった。コブシの枝先を見ると大きな花芽が着いて今にも開きそうに成っている。
 木々は、この寒い冬を耐え、じっと春を待つ。
 寒風を頬に受け、朝の冷気に吐く息も白く、身の引き締まる思いがする。今年も暖冬で過ごしやすくはあるが、冬のぎゅっと気温の低い寒さがむしろ心地良い。
 冬の厳しい寒さがあってこそ、四季もくっきりと際立つ。
 常慶寺の境内では「あけぼの」がヒンクの蕾を膨らませていた。

「シャラ」の芽吹き



お日待ち
 今年も新しい年が明けた、季節は日の長さや気温など気象現象によって移り変わる。
 私たちは、花が咲き虫の声を聞き生物の営みによって季節を感じる。
 今も、米倉東講中、米倉西講中など四組の講が正月月、五月、九月の吉日に当番の家に講中が集まりお日待ちの行事が執り行われている。
 昔は、日の入りころからお日待ちの行事が始まり、おかんきをし、夜を徹して酒を酌み交わして歓談し、そして東の空が明るくなると皆で日の出を拝みお日待ちの行事が終わった。
 今では、夕刻の行事のみとなっている。
 起源は定かではないが、お日待つ、あるいは、お日まつり、が原語らしい、いわゆる太陽を拝む祭りでり各地に残っている。
 日本は農耕民族であり、お米を主食としてきた、天候を司る太陽の恵みに感謝し、平和でお米の豊作を祈る行事である。

米倉の初雪



新春の朝
 昨夜の風で舞い落ちた落葉を拾っていた。
 すると、親子連れらしい語らいが生垣の向こうから聞こえてきた。
 そののどかな声が途切れ姿を現したのは、幼い坊やの手を引いた見知らぬ若いおかあさんだった。
 「オメデトウゴザイマス!」
 座り込んでいる私に気付くと、坊やが大きな声を挙げて私に挨拶した。
 元気な声は、良く晴れ上がった青空に向かって抜けて行くようだった。
 不意を突かれた私は、それでも「あ、オメデトウゴザイマス」と笑顔で挨拶を返した。
 二人は、立ち止まることもなく又のんびりと語らいながら通り過ぎていった。

 ただそれだけのことです。
 でも、後姿を見送った私は大空を見上げて、何かしらとても懐かしいような幸せな気持ちになった。
 今年は、素晴らしい年になりそうだ・・・・・・・・・

米倉の初日