第4巻(2005年度版)
地域にはそれぞれ風土、風景、風習、風俗、風格、風味、風情という7つの「風」があると思う。
そんな「風」を見つめてみたい。
変わった故郷
変わらぬ故郷
忘れがたき故郷である。
冬の足音
枯葉の擦れ合う音、落葉を踏みしめて歩く音。
新しく敷きつめられた落葉のジュータンの上をそっと歩いてみた。
朝霜が刈取られた稲株を白くおおい、朝日が昇ると溶けてゆく自然の織り成す造形にしばらく見とれてしまう。
冬の風物詩といえば、軒下で揺れるつるし柿があげられる。
木枯らしが吹くころ、冷たい北風と乾燥する冬の気象条件が渋みを抜き、夜霧を浴びて甘味を増し美味しいつるし柿を作る。
今年は柿が豊作のようだ。
木々の衣装が、緑から黄色・赤・茶色に変わってゆく。
日増しに冬の足音が近づく。
行く秋
近頃は柿を食べなくなったのだろうか、いつまでも樹上に残っている。
子供の頃、柿やイチジクは楽しい秋の味覚だった。
熟柿は同じ木であっても、枝によって甘味に差がある。
養分の行き渡った枝の柿は表皮が紅く、透明感がある。
小鳥たちは、幹に近く地上から高い位置にある甘味の増した塾柿からついばむ。
陽春のような日和の窓際に塾柿が数個残っている。
籾殻を焼く煙が白く漂う。今では見ることも少なくなった晩秋の風景である。
籾殻は焼くと有機質がなくなり、珪酸だけ残るので珪酸肥料として好まれる。
白い煙り、ふすもり臭いこの匂い、秋の深まりを感じさせる夕暮れ時。
蛙の姿も少なくなった、田の土にもぐり来春までの冬眠に入り、草木も冬支度に入る。
立冬をすぎた。
風のささやき
風が冷たさを感じさせる朝、野に出ると名も知らぬ秋の草花に多く出会う。
帰り道、ちょっと拝借する、名も知らぬ小さな花も私の部屋でしばらく息つき、爽やかに元気を与えてくれる。
南の窓を開けると花たちは風の音を聞いて微笑む。
風のささやきを聞いているのかもしれない。
秋の取り入れも終わり、子供たちの行事も終わった。すべてが過ぎ行き過去となる。
秋の雨や秋の夕暮はなんとなく侘しい。日本人ならみんな感じる心なのだろうか。
秋の夕
もう10月、夕焼けの美しい季節になった、大空をさっと笹ほうきではいたような幾筋もの雲が、だんだんと夕焼けに染められてゆく。
夕焼けは、幼き日のこと、故郷のこと、そして旅先で見た美しい夕焼けを思いださせる。
短い秋だけれど、夏の日の思い出を胸に日本の秋をしっとりと感じたいものです。
生垣の間からキンモクセイの香りが漂う、オレンジ色の小さな花びらがぴっしりと枝に付いて秋風に揺れている。
キンモクセイは花よりも香りで気付く花である、ネットワーク技術の革新で香りを伝えるシステムが構築される日も近いかも知れない。
秋の収穫が始まった、朝夕は少し肌寒さを感じさせる。
緑の四季と老木
当地方ではウバメガシを「ばべ」と呼んでいます。刈り込みに強く、乾燥にも強いために生け垣に多く植えられています。
緑の生け垣は、四季を通じて住む人、そして地域の人々に潤いを与えています。
また、クロガネモチも「アクラ」と呼ばれ、庭木や街路樹などに多く見かけ、春の新芽時に昨年の葉をいっせいに落下させ、5〜6月に淡い紫色の花を咲かせます。
米倉の銘木(老木)を尋ね歩いてみました、榎(エノキ)、くすの木(クスノキ)、センダン、そして槐(エンジュ)と先人たちの思いを深くしました。
中で、一本の槐(エンジュ)に出会いました、古くから中国では「出世の樹」として中庭に植えられ、我が国でも縁起木として植えられた時代がありました。
エンジュの花は7月〜9月ころ大きな円錐花序に咲き、花の色はクリーム色で、花が終わるとマメができます。
エンジュは薬用植物として有名で、特に花のつぼみを干したものは槐花(かいか)と呼ばれ、漢方で止血剤として使われます。
また、槐花(かいか)に多く含まれているルチンという色素は高血圧の薬を作る原料になるそうです。
その他の榎(エノキ)、くすの木(クスノキ)、センダン、それぞれみごとな銘木です。
この老木は、米倉の人々の暮らしをじっと見てきました。
穏やかに佇立する木々の周囲には他とは違う爽やかな時間が流れているような気がします。。
田圃の土用干し(たんぼのどようぼし)
今年も、24日から30日まで田圃に水を入れないで土がひび割れる状態にする「土用干し」の季節になりました。
土中のガスを抜く事と嫌気性の雑菌の繁殖を抑える効果があります。
そして、水を求めてしっかりと根を張るために倒れにくい稲に育ちます。
土用干しは、先人の知恵で毎年7月下旬ごろ用水の水を落とし町内一斉に行なわれます。
土用干し以降は徐々に田圃に水を少なくして更に田圃を堅くして、しっかりと根を張らせます。
また、土が固くなりだしたら以後は田圃に入らないようにして、折角張った根を切らないようにします。。
ミミズがはい、蛙がはね、セミが鳴く、そんな田圃で育ったお米はおいしい。
この時期、晴天が昼夜3日間ほど続く頃を見計らって梅の土用干しが行なわれます。
容器から引き上げた梅と梅酢を天日に干す大事な作業です。
色よく仕上げ、カビを防ぐために日光にあて、柔らかくするために夜露にあてます。
梅酢は、梅を取り出した後の容器のまま、ラップで口を覆い天日干しして殺菌します。
梅は健康食品です、夏休み子供たちの除菌と成長効果を促したいものです。
夏の水辺(なつのみずべ)
夏という季節は、人の心を和やかにする。梅雨の明けぬ夏空の水辺を涼しげにトンボや水鳥の姿が舞う。
遠い夏の日の思い出が懐かしく思い出される。川辺のヨシ原には、様々な生き物が生活する。
忙しさの手を休めて、時に立ち止まって水辺を眺めてみませんか。花は私たちにそんなことを語りかける。
蛙の合唱
田植えの季節、水田に水が敷き詰められ、蛙たちは大喜び。夜ともなると、蛙の合唱が面白い。
実にいろいろな鳴き方があるものだと感心する。
夜も更けてくると、ふと合唱が止む。だけど、またどこからか鳴き始める。
かえるの合唱 かえるの うたが きこえて くるよ クヮ クヮ クヮ クヮ ケ ケ ケ ケ ケ ケ ケ ケ クヮ クヮ クヮ 作詞・岡本敏明 |
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村掘り(川掘り)
田植えの季節を前に米倉を流れる用水の清掃が行われる。
おそらく、米倉誕生の昔から毎年この時期に村人が総出で行ってきた行事である。
今では、水に親しむ機会も少なくなった、しかし、水は私たちの源である。
川堀の様子を会員ページ「とぴっくす」で紹介しています。
水の精 君はどこから来たの。 青い高い空を雲に乗って、地界を眺めながらふわふわと飛んでいました。 ある日、友だちみんなで話し合い地界に降りてみることにしました。 私が地界に降りたのは今から12年前、中国山地は蒜山高原の頂(いただき)に友達とみんなで降りてきました。 友だちの多くは、頂の北側に降り日本海の方へ流れて行きました。 私たちは南側を、時には地に潜り、木々と語りながら8年の歳月をかけて蒜山のふもと塩釜に下ってきました。 緑に囲まれた美しい谷川を下り、魚たちとたわむれ、岸辺のコケに潤いを与え、自然の流れに沿って湯原ダム湖にたどり着き、そこで2年間休みました。 そして、発電機のタービンを回して旭川を下り、旭川ダム湖でゆったりと1年間休憩しました。 ある日、大雨に見舞われ一挙に放流、厳しい流れに乗って下流に流され、岡山市玉柏地先の管掛用水取入れ口に至っていました。友だちの多くは、そのまま旭川を下り、祇園用水として岡山市の東部に流れたもの、また、岡山市浄水場に入って水道水となったもの、またあるものは、百關を下ったもの、旭川をそのまま流れて行ったものも多くいました。私は、そこでみんなと分かれ管掛用水として岡山市内の西川を下り、都会の雰囲気も見てきました。 これからは、田植えの時期に向けて、みんなで田を潤わせ、青々とした田圃を見て心を休め、大樋門から笹ヶ瀬川に出て、児島湖で半年ほどゆっくりとして瀬戸内海に出てゆきます。 瀬戸内海で、別れ別れになった多くの友だちと合流し、長旅の話をするのが楽しみです。 それからまた、友だちみんなで太平洋に向けて長い長い旅に出かけます。 そして、いつの日かお空に帰ってゆきます。 |
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かかし(案山子)
空が広い、籾まきした水田に案山子が三本立っている。
この案山子、退屈しのぎにお腹に仕込んだ携帯ラジオを聴いている。
鳥も、かかしの目配りと携帯ラジオの音で近づけない。
かかし 山田の中の 一本足のかかし 天気のよいのに みの笠着けて 朝から晩まで ただ立ちどおし 歩けないのか 山田のかかし 山田の中の 一本足のかかし 弓矢でおどして 力んでおれど 山ではカラスが かあかあと笑う 耳がないのか 山田のかかし (作詞・武笠 三) |
かかしのひとり言 青く高い空、俺は一本足で、ずっと突っ立っている。 俺には「へのへのもへじ」の顔がある、まゆげの「へ」より、口の「へ」の字が小さい。 あみだにかぶった麦わら帽子、べろべろの白い服。 風が吹き、厳しい雨にさらされても、俺は泣くこともできない、つらさを表すこともできない。 山を見棄てた鳥たちが、野にやってきて、ご主人様の田畑を荒らす。 春は、籾を蒔けば種籾を、豆を蒔けば種豆を食い荒らす。 夏は、「いちご」や「とまと」や「すいか」が熟すと食いに来る。 秋は、せっかく実った稲穂を食い荒らす。 冬は、「きゃべつ」や野菜をかたっぱしから食い散らす。 俺は、一年中ゆっくり横になる間もない。 子供たちが楽しそうに通り過ぎて行く、俺は、それを見てたると勇気が湧いてくる。 人間様も、見かけばかり立派で役に立たない人を「かかし」と言う。 俺は、収穫まで鳥に食べられないようにずっと立って周囲を見守っている。 お前よりも俺は立派だ。 |
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五月雨(さみだれ)
初夏に降る雨は野菜に潤いを与え、人の心に安らぎを与える。
そして、木々は緑を濃くし、水の流れが増す。
やがて苗代の季節が始まる。
この道は、いつか来た道 あぜ道、たんぼ道、牛追い道、思い出を育んだ道・道・道・・・・、 今では道草をする道が少なくなった。 そして道路が走る。 時に道に迷うこともある、まわり道もまた楽しい。 しかし、人の道を踏み外さないようありたいものだ。 この道は、西市と米倉の境界道 道の右側は西市、左側は米倉 昔々、右側は陸地、左側は白波の立つ浜辺 今は、人の行き交うことも無く 静かに田植えの時期を待つ。 |
春の小川は さらさら行くよ 春の小川は、さらさら行くよ <春の小川:高野辰之> |
かつて、子供たちはタンポポの花の咲いた用水路の土手で、よもぎ摘みをしたり、はだしでザリガニやメダカを捕らえたりして遊んだ。
今では、「水が見え」「水に近づき」「水で楽しむ」こんな光景も少なくなってしまった。
季節の移り変わる中で、幼い日、野の花で美しい花飾りを作ったように、人生「愛」と「善」と「敬」という心の花で、大きな花飾りを作りたいものです。
花の季節
この風景、米倉のどこで出合えると思いますか????
車では通り過ぎてしまいます、自転車では見損ないます、歩いて見てください。
○○さんの裏庭で出合えます。米倉に長く住んで初めて出合った風景です。
みごとな紫木蓮で一見の価値があります、見かけた方は皆さんにe交流で教えてあげてください。
樹齢20年だそうです、草木はその土地と水になじんで生長し、人はその土地の風土になじんで成長します。
木蓮は地球上で最古の花木といわれており恐竜の時代から今のような姿で咲いていたそうです、気品のある花の姿の中に強靭な生命力を感じます。
「風やみて 散りし木蓮 惜しみけり」
白木蓮は清楚な乙女を、紫木蓮は妖艶な美女を、そんな風を感じる季節です。
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冬の風物詩
小正月
一月一日の年神様や祖霊を迎える行事の多い大正月に対して、一月十五日を中心の小正月は農作祈願など農業に関連した家庭的行事が中心で、松の内に忙しく働いた主婦をねぎらう意味で女正月とも言われてきました。
14日には若餅をついて、食紅で色をつけたものと白い餅をならの木とか柳の木に付けて部屋の四隅に飾り、15日にはお餅で小豆粥を作り、午前中に門松やしめ飾りを外して燃やします。
家族で煙を囲み、書初めを燃して高く立ち上がるのを競い、鏡餅を割って残り火で焼き、神棚に供え、黒く焼けた餅を皆で頂く、そして残り灰を屋敷の周り四隅に撒く。
高く立ち上がることに文書の上達を願い、餅を頂くことで健康を願い、灰を撒いて悪魔が屋敷へ入らないように願った。
最近では「どんど焼き」もしくは「どんど祭り」と呼ぶようになりました。
古い日本の心の文化が失われ継承されることなく子供たちは成長してゆく、時の流れの中で大切なものを置き忘れてゆくような気がします。
ある晴れた日、千切りにされた青首大根が一昼夜寒風の中で自然乾燥される、大根は干すことで栄養分が凝縮されビタミン、ミネラルを豊富に含む健康食品となります。
以前はこの季節、農家の軒先で「麦わらこも」が広げられ千切りにされた大根が一面に冬の日差しを受ける風景は冬の風物詩でしたが、今では見かけることも少なくなりました。
米倉の新春
かつてのお正月を思うと、家々の門に門松や玉飾りが飾られ、神棚や床の間には鏡餅が供えられている風景が目に浮かびます。
そして家族や親族が集まり、お雑煮やお節料理でおとそや御前酒で新年をお祝いしたものです。
子供は、凧揚げ・こま回し・羽根つきをして遊び、そして一番楽しかったことはお年玉を頂くことでした。
正月は師走のあわただしさから変わり何かほのぼのとした温かみを覚え、力の湧いてくる、そんな感じがしたものです。今ではお正月風景もすっかり薄れてしまいました。
お正月とは、ただ年が改まるだけではなく、全てのものに新しい魂を頂き生まれ変わる時なのです。
歳神様が各家庭の中で生活に大切な働きをする神宿る場所に新しい魂をもたらしてくれます。
神棚・床の間・大黒柱・台所・井戸・かわいち・お手洗い等に魂を迎えもてなすお供えが飾られました。
人にも魂を頂き、正月を迎えると一つ歳を増しました、つまり一年を生き抜く生命力を頂いたわけです。
鎮守の神である氏神様にお参りし、神前で無事新年を迎えたことに感謝し、今年一年一生懸命に生活していくことを誓い、家族の安泰を願います。
今年の新年は白銀の中で迎えました、真っ白な雪は昨年の災難を洗い流し清めてくれました。
新しい年が穏やかな一年でありますように。