第2巻(2003年度版)
地域にはそれぞれ風土、風景、風習、風俗、風格、風味、風情という7つの「風」があると思う。
そんな「風」を見つめてみたい。

変わった故郷

変わらぬ故郷

  忘れがたき故郷である。



へちま
 「へちま」は、どこでも簡単に栽培でき成長が早く、黄色い派手な花を付け、1本の木に十数個の立派な実を付けます。
 夏には、涼しさを感じさせる「へちまのトンネル」が出来、秋には軒先に吊るす風情の有る風景に出会います。
 辞典を見ると、「へちま」という言葉には「役立たず」の意味があるようですが、昔から天然のへちま成分は肌荒れや乾燥を防ぎ白い肌を整えるとされて広く用いられてきました。
 また、乾燥させ「垢こすり」としてスポンジの無いころ、家庭のお風呂の湯に浮かんでいました。
 「へちま」は食べられます、若い実(大きさは、ほぼ成熟したサイズ)の皮をむいで、輪切りにし、ゆでてお吸い物やそうめんの具にすると、とても柔らかくて美味しいものなのです。
 季節は移り、笹ケ瀬川のススキの穂も白く開き秋風にゆれ、夕暮れ時遊園地では子供たちの歓声が聞こえてきます。
 秋の終わりを告げる風景がここには有ります。



とりいれのころ
 このころ瀬戸内地方は朝霧に包まれる、霧の深い朝は快晴で秋のうろこ雲が見られる。
 日暮れは早く、夕焼けに染めてコンバインの音が響く、今ではたんぼの中を走る子供たちの姿は見られない。
 柿は色付き、川面に枝をたれる。今年も高尾さんが笹ケ瀬川の辺に植えたコスモスが秋風にゆれ、道行く人々の心を和ませている。



さるすべりの花の咲くころ
 岡山バイパス米倉高架橋遮音壁工事が始まった、騒音と振動そして大気の汚染に悩まされる日々もこれで少しは緩和されるかも、来年の秋には、この風景も様変わりする。
 学区民体育大会も終わり9月22日は地神様の祭礼、秋の実りを地の神に感謝し豊作を祈る。
 そして10月11は、天神様の秋祭り、子供みこしが黄金色の稲田を渡る、それが終わると一斉に秋の取り入れが始まる。



「かわいち」のある風景
 道路は「牛追い道」と言って、牛と人がやっと通れた、しかし、水路は発達しており運搬手段は川舟に依存していた。
 川舟は、人を運び、農具を運び、稲や籾を、そして藺草を運んだ。「まこも」の茂る水路を川舟がすいすいと進む田園風景は絵になった。
 住まいする屋敷は川に面していた、各家には「かわいち」があり「かわいち」は、炊事・洗濯・水汲み場・船着場と生活の場であった。
 今では護岸工事が進み、その数も少なくなったが、水かさの増すこの時期、6月の雨音と共に郷愁を感じる。



6月の雨音・田植のころ
 日本の四季のすばらしさを感じる季節である。田に水が入り、水田に月が映り、かえるのなぎ声が聞こえる。
 軒先の盆栽も、6月の雨を受けて瑞々しさを増し、道行く人も雨に打たれて心和む。



端午の節句のころ
 端午の節句の縁起物、菖蒲(しょうぶ)、川岸に群生した菖蒲を見かけることも少なくなりましたが、和田さんの田んぼの水かき場に今年も緑の細長い葉っぱを風になびかせている。
 5月5日は端午の節句で、旧暦で行われていた、この日は別名、菖蒲の節句とも言い、もともとは厄除け、魔よけの行事が行われる日でした。現在のように男の子の節句になったのは、「菖蒲」の音が「勝負」や「尚武」に通じることからだと言われています。
 この菖蒲の節句には、軒先に菖蒲をさす習慣があり。また、このほか珍しい風習としては枕の下に菖蒲を敷いて寝たことを思い出します。現在でもお風呂に入れて菖蒲湯にする風習が残っています。
 今では、「こどもの日」と、名も変わり、ゴールデンウイークの中に埋もれて少し寂しい感じがします。
 「いずれアヤメかカキツバタ」といって、アヤメとカキツバタは見分けのつかない代表とされていますが、菖蒲とアヤメを混同している人も多いようです。
 葉が長剣状でよく似ているので間違えやすいのですが、菖蒲はサトイモ科、アヤメはアヤメ科です。




れんげの花咲くころ

 教科書のサイタサイタも朧なる
  たんぽぽや婆の笑顔の無垢なるも

                          
中川信正

 れんげ草(蓮華草 別名「紫雲英(げんげ)」)は、水田裏作縁肥作物として栽培され、その歴史は古く日本の近代稲作農業の発展に大きく寄与してきました。
 しかし戦後、化学肥料の発展普及・農業の機械化・田植えの早期化等によって急速に減退し、化学肥料を多く用いるようになった結果、地力の低下・土壌の酸性化・用土構造等の悪化が進みました。
 現在、飼料作物・養蜂蜜源として、地域環境美化等に広く活用され栽培管理も平易なことを考える時、れんげ草を取り入れた水田裏作の復活により、地力の増進が極めて大切だと思われます。
 昭和30年代まで田植えが近づいた田んぼには、ピンク色に咲き乱れたれんげ畑が広がり、子供たちの格好の遊び場であり年寄りの憩いの場てもありました。
 今では、それもほとんど見かけなくなりました。れんげの花を懐かしいと思う人や初めて見る人、そして、大人も子どもも安らぎと憩いの一時を感じてほしいと願います。
 常慶寺の境内では、純白の桃の花が春の日差をいっぱいに受けて淡い香りを漂わせていました。



里雪のころ
 静かだ‥‥‥。
 通学路に車のタイヤの跡だけが残っている。風もなく小雪が舞っている、静かな風景の中を二人の子供が小さな足跡を四つずつ押しながら歩いていく。
 庭の「まんさく」が黄色い花を付けた、「まんさく」は万花にさきがけて「まず咲く」が転じた花名で、通常「万作」の字が当てられる。早春、葉に先だって咲く径2〜3cmのややねじれた細い4弁花を、穀物が実って頭を下げる様子や豊作踊りになぞらえ、豊年満作にちなんで満作と名付けられた。「万」は「漫」を演技のいい数に置きかえたもの。
 樹高7〜10m。水平に伸びる枝の節々はいくぶん屈折してる。
 葉の紅葉する秋にもよく使われ、丸葉まんさくなどは、葉の形も美しく枝物花材として紅葉期意外にも使われる。
 桑田さんの畑では、風に飛んで来た一本の綿の木が8月に純白の花を付け、この季節コットンボールを弾かせ、ふくらんだ白い綿を冷たい風にふわふわと揺らしていた。
 常慶寺の「ろうばい」も今を盛りと開いた、心が洗われるような自然の色が美しい。春の近いことを知らせる。



大寒のころ   関連資料
 寒い一月,二十四節気では小寒と大寒を迎えます。二十四節気とは太陽の黄道上の位置によって決められた季節区分で,太陽の黄経が0度になった時を“春分”と呼び,そこから太陽が15度進むごとに,清明・穀雨・立夏・小満…と呼ばれます。
 毎年1月6日〜7日に迎える小寒(しょうかん)は,寒さがようやく厳しくなる季節という意味で,天文学的には太陽の黄経が285度になったとき。立春前の30日を一年で最も寒い頃という意味で“寒”(かん)と言い,この前半の15日を小寒,後半の15日を大寒と呼び,小寒はこの15日間の小寒が始まる日を指しています。
 大寒(だいかん)は後半の15日が始まる日で,毎年1月20日頃。太陽の黄経は300度で,一年中で最も寒い時期とされます。
 今朝も用水路が一面氷に閉ざされ、朝の光を反射して輝いています。
 和気さんの前庭で「キンカン」が黄色い実をたれていました、キンカンはレモン果汁とほぼ同量の抗菌作用のあるビタミンCを含み、ビタミンPの本体「ヘスペリジン」を含んでおり、ビタミンC の吸収をよくして、毛細血管を強くする働きがある。これは、風邪の予防となるほか、動脈硬化、高血圧にも有効に働き、喉の炎症を抑える効果もあります。扁桃腺がはれているときにも喉に やさしく作用する。とくに皮に多く含まれているので、皮ごと食べるキンカンは「ビタミン剤」そのものです。



新春のころ
 正月行事は年中行事の中で最も大切な行事とされてきた、歳神様をお迎えする準備は12月20日頃から28日の間に行い、歳神様と家族に栗(九里四方に貸しまわす)で復太箸を削り、煤はらいをし、お餅を搗き、新藁でしめ飾りを作る、また組み飾りを作り橙(代々子孫繁栄) 串柿(財宝を貫く) ほんだわら(豊年俵) 山草(うらじろ夫婦和合) 昆布(喜ぶ)をつける、そして常盤木を立て御神酒と鏡餅を供える。
 お飾りは仏壇、諸神様、門口、裏口、倉物置、かまど、牛小屋、苗代、墓地、水神と付ける。
 元日はその家の主人または長男は早朝若水を取り、神仏に鏡餅、おせち(四方を張りたる膳)を供え総灯明をあげて祭る。
 家族そろって梅干しのお茶を飲みお雑煮を祝う、牛馬には団子雑煮を祝わせた。
 元日は掃き出す事を嫌い箒(ホオキ)を使わない。
 丸裸になると、この夜は風呂を立てない。
 二日は書き初めをし注連飾りに吊るし鍬初めをする。
 そして朝風呂を立てる、雑煮は丸餅で一日は醤油汁、二日は小豆汁、三日は味噌汁をする。
 三が日の内に餅を焼くと危に遭遇すると言ってこれをつつしんだ、心豊かな新春風景であった。

餅つきうた(祝唄)
1番  正月にゃ 門に門松にゃしめ飾り 庭にゃ数多の米が降る
2番  お京橋の上から川下見れば魚舟がのぼる それを何よとたずねてみたら
    鯛や鯖や しくちやぼらや さても見事な 鯉、ふなや
3番  高い山から谷底見ればヨ 瓜や茄子の 花ざかりヨ
4番  高い山から飛んでくる鳥ヨ 銭のないのに 買お買おと言
5番  こなたお背戸にゃ 茗荷(ミョウガ)や蕗(フキ)や 冥加(ミョウガ)めでたや富家繁盛
6番  めでためでたが三つ重なれば 鶴が御門に巣をかける
    鶴が何と言うて巣をかける、御家御繁盛と言うてかける
7番  うれしめでたの若松様ヨ 枝が栄えりゃ葉もしげる
8番  お前百までわしゃ九十九まで 共に白髪の生えるまで

 
南天が赤い実を万点に付けている、ナンテンは難を転ずるといって災難避け、魔避けに玄関、手洗い、鬼門にあたる場所に植えると良いと言い伝えられ馴染みの植物で床飾りや、お祝い事にもよく使われている。
 人様に赤飯を差し上げるとき重箱に赤飯を入れ、その上に必ず南天の葉をのっけていたのを思いだす、蓋がくっつかないように入れたものだろうが、何時しか厄除け、殺菌作用があると教えられ信じてきた、果たしてその効果があるかどうかはわからない、料亭では緑の鮮やかな葉が少ない冬の季節、料理に南天の葉を添えて出される、食べるものではないが、よりおいしさを感じさせる。
 
岡山市外環状道路笹ケ瀬川架橋工事が始まった、また一つ里の風景が変わる。