三 徳 園 の 桜
 


 


       

昭和9年4月 第一生命保険会社の創立者矢野恒太は、郷土の農村中堅青年養成をめざして、竹原の生家に近い新庄山麓に財団法人三徳塾を創立した。三徳塾は、実習用地役20ヘクタール、教室、寄宿舎、その他農業施設を完備し、資格よりは実力に重きを置く教育をめざし塾制度をとり入れ、塾長を中心とした一大家族を作り農村日本の核心となる教育をした。
昭和14年3月には全施設を県へ寄付した。その後時代の推移とともに名称、組織の改変があったが、昭和43年県立青少年農林文化センター三徳園が設置された。施設として、「小鳥の森」と「植物栽培用温室」および研修、宿泊施設がある。


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