津倉稲荷堂の由来
津倉稲荷の正式な縁起は、書物として残っていないので残念ながら不明です。
言い伝えでは、江戸時代に鳥取の池田公が国替えで備前岡山藩に入った際、岡山城(烏城)から
見て真西に当たる当地(津倉)最上位経王大菩薩(さいじょういきょうおうだいぼさつ)を祭祀した
ことが始まりとか・・・。
昭和40年代  稲荷堂から町内を見下す 大勢の参拝客とお稲荷さんの参道
現在の境内は、小高い丘の様になっていますが、元々は裏山と繋がっていたものを中間部分を削って
道路等の用地をつくり、その削った土を清心女子大学の造成に使ったとのこと。
現在の正式名称は、「宗教法人 日蓮宗妙応寺(通称:妙応寺津倉稲荷別院・津倉稲荷堂)」です。
また、平成元年に和気妙応寺第38世太田智光上人および深い信仰者の方々の協力の下で本院が
新築されたことで妙応寺の飛地境内となり現在に至っている。
現在の津倉稲荷堂 改築前の妙応寺本院
津倉稲荷別院 現在の妙応寺本堂
伝説・・・津倉町の年配の方に聞いた面白い話(副住職の太田智啓さんにお伺いした)
   一説には、津倉の最上位経王大菩薩は、備中高松の最上稲荷と姉妹関係になるそうです。
   これにまつわる話で、大正年間に津倉稲荷堂は誰も管理する人が無く、町内で話合った結果
   「このまま放りぱなしではダメだ。姉妹の備中高松最上稲荷に祭祀してもらおう。」という事に
   なり、津倉の稲荷さんを何人かで担いで備中高松まで運ぼうとしたそうです。

   今の国道180号線の万成の坂上付近で一時休憩し、さて再出発しようとすると今まで担いで
   きたお稲荷さんが急に重くなり、どうしても担いで運ぶことが出来なかったそうです。
   皆が困ってしまい相談の末、元の津倉に引き返すことにし、反対方向に担ぐと今までの重さが
   急に軽くなったそうです。そして、津倉に再び祭祀されたとのことです。


  ★津倉の住民は遠慮深いようで、お稲荷さんと言えども「備中高松の妹の所へ身を寄せるのは
    気がひけた・・・・」ようです。
現在、津倉町にお住いのあなたも○○深いですか?
   
  副住職 太田智啓 夏祭りには、ご家族でお出かけ下さい。

お待ち申し上げております。
行事のお知らせ
     ・毎月1日              祈祷会(6:30〜、 10:30〜、 14:00〜 )
           ・毎月5日〜8日(平日の1日)   ご先祖供養(10:00〜)
     ・1月11日              厄除祈祷会(10:00〜)
     ・7月25日             夏祭り読誦会(19:00〜)
     その他随時受付できる祀り   地鎮祭、家祈祷、方位除け、交通安全祈祷、安産祈祷
                         厄除け、闘病平癒、先祖供養、月参り回向・・・

     ご相談先 津倉稲荷(日蓮宗 妙応寺) 電話 086-252-9937