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   今週の「つぐらの顔」は、・・・
                       戦後、間もなく「食ベ物屋」を始めて開業60年を迎える
                おなじみの旅館食堂
福寿荘さんです。

 代表(店主)     市川勝博さん(66歳)
 
開 業 年     昭和25年(食堂 兼 駄菓子屋) 
                その後昭和29年に福寿荘を開業(現在35室)
 所 在 地     津倉町1丁目12-17   

           086-252-3232    
                
           
市川勝博さん             玄関を飾る看板

 戦後の食糧難の時代を知る人も少なくなってきた現代では、あの頃の食べ物屋(食堂)と
 言えば、想像がつかない程の憧れ商売ではなかっただろうか。

 
時に、現岡山工業高校用地に戦後の岡山県庁が移転しており、多くの客で賑わったようだ。
 中には配給米等を持参し、ご飯と交換したり、作り置きのおかずを買う人も多くいた。
 当時はうどんやそば、丼ものが中心だったようですが、他店に先駆けて、いち早く「作り
 置きおかず」を店に出していたようで、評判のお店だった・・・と市川勝博さん。


 
現在は、近隣(近畿、中国、四国)の泊客が多いが、以前は輪島塗の高級漆器の販売、富山の
 薬売りや特殊送電作業などでかなり遠距離の宿泊客で長期滞在客もあった。しかし、現在では
 商売の変化や特殊作業の職人も少ないことから、長期の泊客が減ったという。
 戦後の高度成長期には、全国からの泊客で賑わい、楽しい話もいっぱい聞かれたようだ。

       

         
     
            現在の店舗は改築され、当時の面影はないが、町内最初の食堂として親しまれた。今は、宿泊客の食事のみでチョツト寂しい。

当時の市川食堂の理念
    
安くて、美味しい物を腹いっぱい(量を)食べていただく!」 
    その心は・・・食糧難の時代に開業したり、学生も多かったことから、自然とお客様の気持ちを
         考えて営業するようになった。

市川店主に開業当初の話をお聞きしました。


(由来と回顧)
 ・母親が食糧不足の時代に「安くて、量をたくさん食べられる店」を目指して開店したので、多くの皆さんに
  ご利用いただいたと思う。今でも、量が多くて良かったと懐かしんでいただく客もあるようだ。
 ・また、戦後のベビーブームに乗って、駄菓子も販売したが、これも好評だった。しかし、当時お小遣いが
  もらえない時代で、子供が自分で「鉄くず」を集めて換金し、それで駄菓子を買いに来ていたことを思い出す。
 *これからも創業者の母の気持ちを大切にして、出来る限り長く営業していきたい・・・と市川店主

  
大型車の駐車場も備え、全国からの客を待ち受ける「福寿荘」
                 
                                                    
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