津倉わいわいESDの7月講座会「ラジオ塔の歴史について学ぶ・・・」

   7月17日(日)カメラマンの一幡公平氏を迎えて、津倉のお宝である「ラジオ塔」の歴史について講演会が
  開催されました。  
  既に皆様もご承知のとおり、たこ公園内に現存する灯籠らしき構築物が希少な「ラジオ塔」であることは津倉
  町のホームページでお知らせしている通りです。この驚くべき事実が判明したのは、この度講師にお招きした
  一幡氏のラジオ塔取材記事が載った雑誌からでした。しかも一幡氏のコメント記事によると「一番最初に出会
  ったラジ
オ塔がたこ公園内に現存する塔」ということで何か因縁を感じたところでもあります。
  同氏の発刊「ラヂオ塔大百科」の中で「わたしにとっては、いつまでも特別な意味を持っている場所だ。」と
  述べられていることからも分かるように、一幡氏は大変喜んで講演を引受けて下さいました。

  講演は、全国のラジオ塔に関する取材内容を多数のスライド写真を使って講演をされました。雑誌を読んで知
  っている事でもスクリーンに映し出される写真と生の取材話を聞いて皆様も新たな感覚になった事でしょう。
  昭和10年代に作られ、終戦前には役割を終えたと考えられる薄命の遺物。音楽や、スポーツ放送の娯楽に利用
  された一方で戦時中は国民の戦意高揚に巧妙に利用されるなど当時のラジオ効用価値は大変高かった。
  また、全国でも500基程度の設置の中で岡山県は12基確認という。その中で現存している奇跡の塔は30基
  程度。その希少なラジオ塔の一つにたこ公園の塔が該当するのだ。
これは、まさに「地域の遺産」でしょう。

  そして最後に
「今となっては奇跡とも言えるこのラジオ塔を活かした素敵なまちづくりをしていただきたい。」
  と講演を締めくくられた。



津倉わいわいESD」より講演会の開会挨拶

講師:一幡公平氏の挨拶

小学生の子供たちの参加も見られる

一幡氏の話は、スライド写真で分かり易く好評だった

津倉のラジオ塔講演に合わせてポイント解説!

ラジオ塔は、何のために作られた?

輪の真ん中のラジオ塔放送に合わせてフォークダンス?

戦火に耐えて生き残った奇跡のラジオ塔は30基程度

「ラジオ年鑑」の記述の中で、昭和18年版に津倉が載っている

国民の戦意を高揚させた「ラジオ塔」の役割

ラジオ塔が金をかけた立派な構築物である理由が分かる

  確かに意匠に凝った「優雅」な感じかな?

「ラヂオ塔大百科」の紹介

津倉のたこ公園は「特別な意味を持っている場所だ」・・・と一幡氏

質問をする小学生に笑顔で回答する講師

  

最後にESD事務局から謝辞を述べて開会