古里で知られていない、「原  虎一」さんのこと
和気加太志さんよりの情報です。

原 虎一さんというのは、概略次のような経歴のかたである。


明治30年11月16日、現在の岡山市田中に生まれる。17才で単身上京して電気工業会社で働きながら、早稲田工手学校に学ぶ。

戦前より労働運動に入り、労働総同盟中央執行委員、東京市会議員をつとめた。
戦後昭和22年、日本社会党より第1回参議院議員選挙に全国区で当選、参議院労働委員長となる。

昭和27年8月にスイス連邦首都の列国議員同盟41回総会に日本議員団代表として出席し、次いで欧州各国の議会制度並びに社会事情を調査して帰国、昭和31年頃は、社会党中央執行委員労働組合総同盟政治部長、昭和35年頃は、日本労働会館理事長などの要職についておられる。(昭和47年7月3日没、年76)

生家は、田中野田であるが、現在はマンション「カシオペア」の北側で27m道路(大元-辰巳線)となっており当時の面影はない。道路が出来る前は私の家の土地があり「 アタラシ」 と呼んでいた邸後があった。「そこが原 虎一さんの家だったんだよ」と子供の頃親から教わっていた。

原 虎一さんは、上京後郷里との交流はほとんどなく、戦前の活動状況など田中野田の人はだれも知らなかったようである。又戦後も虎一さんのことが話題になることはなかった。

原 姓は、田中野田には数軒あるが、身寄りがなかったためか、町内の90才近い長老の方でも、話に聞いただけで全く知らないという。
親の墓参りに帰郷されたこともあったと考えられるし、幼い頃の友人で年賀状などのやりとりもあったのではと思われるが、すでに故人となられており、詳しいことは知るよしもない。

本当に古里とのかかわりがなかったのだろうか。



ちなみに、インターネットで検索したところ、昭和25年の国会議事録でしょうか、載っていました。
下記アドレスでした。(nakayama)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/009/1314/main.html
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by nakayama