戦後間もない昭和21年12月21日夜明け前、大きな地震が岡山地方を襲った。マグニチュード8、岡山死者52人という記録がある。被害状況だけをみると阪神、淡路の比ではないが、岡山地方にとっては、私共が今だかつて体験したことのない最も大きな地震であった。私が最も大きな衝撃を受けたのは近所の建物が轟音と共に、土煙りを上げて倒壊したことであった。幸い母家でなく、通常「カマヤ」と言われる付属の建物で、怪我人などはなくてよかった。一瞬の間の出来事で逃げる間もなく、思い出しただけでもぞっとする。至るところ何処にも屋根瓦は落ち、道路の電線はずたずたに切れていた。
 最初から急に激しい揺れがきたので、すぐ地震だと分かった。飛び起きて着の身着のまま外に出ようとしても、揺れが激しいので、縁の雨戸が開かない。やっと開けて無我夢中で外に飛び出した。母親など揺れがひどくて立って歩けなくて、四つん這いになって外に出ていた。家の屋根が大きく波打っているのがよく分かった。もう駄目だと思った。
 私の家には、当時満州という大陸から引き揚げ船に乗って帰ったばかりの、叔父の家族6人が長屋に寝ていた。地震とは気付かず、玄海灘を通った時、波が荒く船が激しく揺れたので、まだ船に乗っている心地だったという。心配して部屋に迎えに行くまで、誰も地震とは気付かなかったようだ。皆で無事を喜んだ。その当時は農耕用の牛も飼っていたが何ごともなく済んだ。
 私共の岡山地方は、沖積層の軟弱な地盤である。私の家のあたりは特に地盤が弱いせいか、どの柱も土台から外れかかっており、倒壊寸前の有様だった。幸い田中野田には人身事故がなくてよかった。
 あの恐ろしい地震は又何時やってくるか分からない。どんな時でも落ち着いた行動が大切である。そのためには、日頃の備えが必要であり、万全を期しておきたい。