西大寺学区コミュニティ協議会へ
11月10日 うじょう君を利用して小鳥の森へ 紅葉を求めて行って来ました。
ちょっと肌寒い日になりましたが お弁当を用意してバスに乗り込みました。
自転車組も安全運転を心がけ、ほぼ40分かけて小鳥の森に到着し、
バス組と合流しました
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紅葉の中で楽しいゲームをして、すっかり子供になり、久しぶりに大声で笑いグループの親睦を深めました。
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2人組、3人組、つぎは? |
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清正、母、虎、さてルールは? |
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お弁当を食べて、まわりを散策しました。すばらしい紅葉に歓声も上がります。 |
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櫂の木、学問の木ともいいます。 |
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落ち葉が風に舞っていました。 |
夕日に照らされてとてもきれいでした。 |
新庄山城跡と、山登りした人たちの様子 |
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険しい山道もあり40分で山頂に着く |
宇喜多直家ゆかりの城跡 |
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記念撮影ハイチーズ |
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新庄山城(別名・奈良部城)
頂に本丸を構え、尾根筋に郭を縦列に配し、先端に堀切のある連郭式の山城。
築城年代は不詳であるが、亀山城主中山備中守の臣、新庄助之進の居城と伝えているので、16世紀前葉であろう。ただし、現在の城跡は宇喜多時代に改修された跡。
天文18年(1549)春、乙子城主宇喜多直家は、砥石城主浮田大和が主君浦上宗景に背いたとし、宗景の軍勢と協力し砥石城を攻め、大和を敗死させた。このときの恩賞として宗景から新庄山城が与えられ、乙子城から移ってきた。
栄禄2年(1559)、亀山城主中山備中守と砥石城主島村豊後守とが、主君宗景に対し謀反の噂があった。宗景は直家に命じてこれを誘殺させた。この功により直家は亀山譲を賜り、新庄山城から移った。
新庄山城は家臣に守らせていたが、直家が岡山城主となったとき、この城は役目を終え廃城となった。なお、本丸跡から焼き麦が現在も出土する。