西大寺のミシン

所蔵品の紹介とミシンの歴史

 ミシンは、説明するまでもありませんが、「織物(布)、皮、紙などを糸で縫い合わせるのに用いられる機械」です。
1960年代(昭和35~45年)までは手回し式や足踏み式などの人力のミシンが主流でありましたが、近年では、電動になり、
電子化、そしてコンピューター搭載へと進化し、キャラクターや複雑な模様まで簡単できれいに縫えるミシンが数多く
開発されています。  西大寺文化資料館では、昔懐かしい手回し式や足踏み式のミシンを所蔵しています。
所蔵品の紹介とともに、ミシンの歴史を振り返り、在りし日の西大寺を思い浮かべてみましょう。

西大寺文化資料館所蔵ミシン
1.足袋製造用ミシン
2.帽子製造用環縫ミシン
3.シンガー製 手回しミシン
4.蛇の目ミシン社製。HA-1型足踏み式ミシン

日本のミシンの歴史

西大寺文化資料館所蔵ミシン
1.足袋製造用ミシン
足袋製造用ミシン
西大寺文化資料館所蔵品
福助足袋縫い鉄輪ミシン
福助足袋縫い鉄輪ミシン
主に足袋製造に使用されたミシンのようですが、同形ミシンはドイツのアトラスが1870~1880(明治3~13)年に製造し、イギリスでBrunoniaという名前で販売されたものと、明治28 (1895)年に福助足袋の創業者である福松が開発した足袋縫い鉄輪ミシンの2モデルがあり、どちらかは不明です。 『ミシン出現までの足袋はすべて手縫い。時間も人手もかかるため、足袋の値段も高価でした。福松は「安くて良い品は作れぬものか」と思案を重ね、足袋用ミシンの開発研究を開始し、苦心を重ね完成したのが、日本初の足袋縫い鉄輪ミシンです。機械に対する興味と関心、そして深い知識がわが国発の足袋縫いミシン誕生の鍵となりました。』(福助HPより)

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2.帽子製造用環縫ミシン
帽子製造用ミシン
西大寺文化資料館所蔵品
昭三式環縫ミシン
ブラザー「昭三式環縫ミシン」
西大寺 野村帽子店より寄贈
このミシンの製造年は不明ですが、明治後半に輸入され、主に帽子製造に使用されたものです。単環縫いで一本の糸で縫い、ボビンはない。同形ミシンに機械遺産 第15号 に登録されている麦わら帽子製造用環縫ミシン「昭三式環縫ミシン」があります。
1920年代初頭、日本のミシン市場はシンガー社一色の独占的な状態であった。そのような時代に、ブラザーエ業株式会社の創業者安井兄弟は、1928(昭和3)年麦わら帽子製造用環縫ミシン「昭三式環縫ミシン」を開発、販売した。
この開発にあたり、安井兄弟はミシン製造に必要な技術である機械加エ技術と熱処理技術の開発に着手し、当時の日本ではこの技術が一般的には普及していなかった浸炭焼入れ技術を確立した。
この技術をもとに、ドイツ製が主流だった麦わら帽子製造用環縫ミシンの国産化に着手、外国製品に負けない耐久性を持った製品として開発されたのが「昭三式環縫ミシン」である。
当初の売れ行きは必ずしも良好でなかったが、その耐久性によりユーザーから高い評価を得た。(日本機械学会「機械遺産」 機械遺産 第15号 麦わら帽子製造用環縫ミシンより)

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3.シンガー製 手回しミシン
シンガーミシン1

シンガーミシン2
西大寺文化資料館所蔵品
SINGER 99K シンガー製 手回しミシン
製造番号RS23489
西大寺 久山家より寄贈
これは1903(明治36)年イギリスで生産された手廻しミシンで比較的早く輸入されたもので、ボビンがシャトル型(舟型)で丸いボビンができる前のミシンである。当時は高価であったが、シンガーミシンは月賦販売で販路を拡大した。
なお、日本へは足踏みミシンと手廻しミシンはほぼ同時に輸入されている。モデル99Kは小型の手回しミシンとしてリリースされたミシンで当時としては珍しいコンパクトな機種としてロングセラーになりました。ケースはドーム状で、高級感が漂います。

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4.蛇の目ミシン社製。HA-1型足踏み式ミシン
蛇の目ミシン1

蛇の目ミシン2
西大寺文化資料館所蔵品
蛇の目ミシン社製。HA-1型足踏み式ミシン
製造番号C569907
昭和23(1948)年、戦後の混乱の中、ミシン業界において「ミシン製造会」が発足。 当初帝国ミシン(蛇の目ミシンの前身)の代表だった前田増三の呼びかけで、国産家庭用ミシンの規格寸法が統一されました。
このミシンは「家庭用HA-1型」と呼ばれました。(蛇の目ミシン社HPより)
ミシンを使った洋裁は、当時の女性が自立できる数少ない仕事のひとつであり、戦後のアパレル産業を内職で支えるとともに、家計を支えていった。昭和24年秋に発売されたお年玉付き年賀はがきの一等賞は足踏みミシンであり、当時の家庭で一番欲しいものであったことを表すエピソードである。(岡山民俗館-民具100選-より)

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日本のミシンの歴史
1790(嘉永3)年 イギリスでトーマス・セントが世界で初めてミシンを考案し、特許を取る。
1800(万延元)年代 ドイツ、フランス、アメリカでもミシンが発明され、使われ始める。
1854(安政元)年 横浜に再来航したペリー艦隊は、第13代将軍「徳川家定」へ数々の珍しい献上品を贈った。その献上品の中にシウイングマシネ(sewing mashine の和式発音)なるものが、ありました。日本で最初にミシンを扱ったのは、天璋院(篤姫)だといわれています。
日本初上陸ミシン
1860(万延元)年 遣米使節団に同行した通訳:中浜万次郎(通称:ジョン万次郎)が、写真機と手回しミシンを持ち帰りました。
また、遣米使節団の様子を描いた当時の「米行日記」にも、アメリカで観たミシンの事柄が、刻明に記されています。
1870(明治3)年 1870(明治3)年10月、岡山市中区沢田の恩徳寺にミシンが描かれた絵馬が奉納される。岡山へのミシン伝来を伝える貴重な絵馬といえるでしょう。
恩徳寺絵馬
1881(明治14)年 ミシンが普及をはじめるのは明治期になってからで、初期は輸入のみで、修理などを通じて技術を取得した技術者によって、徐々に国内生産が開始されました。最初の製造業者は、江戸時代までは大砲職人であった左口鉄造であるとされ、1881年に東京で開かれた第2回内国勧業博覧会に国産ミシン第1号として展示されました。
1921(大正10)年 日本のミシン製造の量産は、1921年に創業したパイン裁縫機械製作所(旧シンガー日鋼)によってはじめられた。このころ(大正時代)から、日本でもミシンの量産がはじまった。ただし、量・質ともに、シンガーなどの輸入品にはかなわなかった。
1924(大正13)年 国産の本縫いミシン(パイン)の製造が開始されました。
1928(昭和3) 年 ミシンの修理で生計を立てていた安井正義、實一兄弟(ブラザー工業創始者)が性能の良い国産ミシンは売れると確信し、製造に着手した。1928年(昭和3年)に「麦藁帽子製造用環縫ミシン」を発表し、販売し始める。発表年に因んで「昭三式ミシン」と呼ばれ、全く壊れないと大評判となり注文が殺到し、安井兄弟のミシンは瞬く間に広がった。
1948(昭和23)年 家庭用ミシンの規格が統一され、新規格に基づいた製品の出荷が始まった。このミシンは「家庭用HA-1型」と呼ばれました。
1953(昭和28)年 三角カムによる千鳥縫いミシン・セミジグザグおよび、フルジグザグミシンが誕生しました。
1961(昭和36)年 軽合金製で、ミシン頭部の中にモーターが内蔵されたポータブル型電気ミシンが発売されました。以後、軽量化・コンパクト化が研究されるようになりました。
1966(昭和41)年 従来のジグザグミシンの高級化が進み、模様の種類の増加が図られたスーパーオート・ジグザグミシンが発売されました。
1976(昭和51)年 スーパーオート・ジグザグミシンで、軽合金製電動型の速度制御、針の上・下定位置停止、2スピード制御などが行える電子速度制御ミシンが発売されました。
1978(昭和53)年 本格的電子ミシンが発売されました。従来の千鳥縫いに採用されていたカム機構を一掃して、全面的に電子化された最高級のスーパーオート・ジグザグミシンでした。また、同年には、上糸・下糸を自動カットし、針自動糸通し装置を内蔵した自動糸切り機構内蔵ミシンが発売されました。
1979(昭和54)年 コンピューターミシンが発売されました。8ビットのマイクロコンピューターを使用し、縫い模様の多様化と操作の簡便化を図りました。
1983(昭和58)年 「押さえレバーを下げてください」「この模様では返し縫いができません」など、音声で対応するしゃべるミシンが発売されました。
1985(昭和60)年 縫い素材・縫い条件に最も適した糸調子をコンピューターで自動コントロールする自動糸調子機構搭載ミシンが発売しれました。
1986(昭和61)年 小型(A4サイズ)軽量(3.0㎏)ながらコンピューターを搭載し、本格的な実用縫いができるブックサイズミシンが発売されました。
1987(昭和62)年 使用する糸の太さ、布の種類に最適な糸調子がとれるメカニカル式全自動糸調子付きミシンが発売されました。 同年には、安価で小型なミシンや輸入品の大型刺しゅう機能を搭載したミシンも発売されました。
Wikipedia、一般社団法人 家庭電気文化会、日本縫製機械工業会のHP資料より

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