三 味 線 餅 つ き の 由 来

 吉備津神社は、すぐれた四道将軍の一人として、この地方の平和と秩序を築き、今日の吉備文化の基礎を作られた吉備津彦命を祭り、吉備の国の守り神として尊ばれています。 
 その門前町「宮内」は、遊興と芸能の町として栄え、神社の春秋の例祭には、江戸や京の都から千両役者が来て、宮内芝居をはじめ、色々な興行が長期間にわたって催されていました。

 神社の祝い事には、近郷近在の人々が集まり、祝い餅をついて神前に供えていましたが、その後、芸能の中で育まれた芸達者な人たちが、独特の三味、太鼓のリズムとメロディを取り入れ、現在の三味線餅つきの基を築いたといわれています。

 この伝統行事も一時途絶えていましたが、昭和40年代後半に保存会が組織され、その伝統を引き継いでいます。
 今も正月三ヶ日には、吉備津神社境内で約6俵の餅をつき、お福餅として参拝者に配られ喜ばれています。

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